住友金属鉱山(株)『住友金属鉱山二十年史』(1970.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天正18年(1590) - 蘇我埋右衛門、京都で銅製錬・銅細工を開業 当社
元和9年(1623) - 住友家を継いだ蘇我理右衛門の子友以、銅業をもって大阪に移る(1624年寛永元年まで) 当社
天和元年(1681) 1月 住友、吉岡銅山稼行開始(前後三十数年間経営ののち、享保元年―一七一六年終了) 当社
元禄3年(1690) - 阿波の人、切上り長兵衛、別子露頭発見 当社
元禄4年(1691) 8月1日 [閏8月]住友の手により別子銅山の稼行開始 当社
元禄7年(1694) 4月25日 別子銅山大火 当社
宝暦12年(1762) - 別子、隣接立川銅山を合併 当社
1868年 - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 別子、官軍に一時封鎖される 当社
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
2月 別子立川に大阪鰻谷の銅製錬所を移す 当社
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
7月20日 日本坑法公布 連系会社・業界・一般
- 住友、蒸気船白水丸を新居浜・阪神間に就航させる 連系会社・業界・一般
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
3月 仏人技師ラロックを迎え、別子銅山近代化に着手 当社
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
12月 大阪鰻谷邸にあった事務所を分離して川口富島町に住友本店設置//住友、鉱山事業に関しフランスへ留学生派遣 連系会社・業界・一般
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
7月 別子、東延斜坑(延長五二六メートル)の開さくに着手(明治二八年一月完成) 当社
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
- 別子、筏津坑開坑 当社
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
5月 新居浜港御代島築港完成 当社
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
10月 別子、ダイナマイト使用実験に成功、鉱業に使用の最初 当社
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
3月 住友家法制定 連系会社・業界・一般
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
1月 別子、惣開に洋式製錬所建設着工(明治二一年一一月完成) 当社
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
2月 別子、第一通洞(延長一〇二〇メートル)開通 当社
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