明治生命保険(相)『明治生命の九十年』(1973.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
5月 丸屋商社、福沢諭吉の創案にもとづき「死亡請合規則」を実施 業界・一般事項
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
8月1日 東京海上保険会社開業(最初の海上保険会社) 業界・一般事項
12月 荘田平五郎、小泉信吉、生命保険会社設立につき意見を交換 当社主要事項
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 共済五百名社開業 業界・一般事項
4月1日 三菱為換店(金融業兼倉庫業)開業 業界・一般事項
6月 小幡篤次郎、荘田平五郎による「東京生命保険会社創起見込書」発表される 当社主要事項
9月29日 日東保生会社設立認可(開業に至らないまま一四・六・二一解社) 業界・一般事項
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
2月21日 阿部泰蔵、物集女清久、交詢社内において創立事務にあたる。 当社主要事項
6月13日 「有限明治生命保険会社」(資本金一〇万円)設立願を東京府に提出、同二九目付で認可 当社主要事項
7月8日 創立総会を開き、取締および検査掛を選任、本店を京橋区木挽町二丁目一四番地におく 当社主要事項
7月9日 開業。阿部泰蔵が頭取に、物集女清久が支配人に就任、診査医には印東玄得を委嘱。取扱保険種類は、利付および利無の尋常終身、有限終身、養老、定期、子女教育資 当社主要事項
7月18日 第一号生命保険証券を発行(契約者および被保険者、宇都宮三郎) 当社主要事項
9月7日 阿部頭取、地方巡回開拓に出発(その後、明治二二年頃まで全国各地を頻繁に巡回) 当社主要事項
10月15日 大阪支店を新設 当社主要事項
10月19日 横浜丸善為換店と代理店契約を結ぶ 当社主要事項
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
1月27日 被保険者、川井久徴死亡し、最初の死亡保険金(一,〇〇〇円)を支払う 当社主要事項
10月10日 日本銀行開業 業界・一般事項
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
1月21日 本店を日本橋区南茅場町二〇番地に移転 当社主要事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
7月9日 第一期決算(満四年毎)を実施、利付保険契約者に第一回利益配当を行なう 当社主要事項
12月2日 内閣制度創設 業界・一般事項
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