(社)筑豊石炭鉱業会『筑豊石炭鉱業会五十年史』(1935.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
- 許斐鷹介本洞炭坑を開く 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 伊藤索綯第二新手炭坑を開く 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
- 斯波義兼新入第一坑を開く、後近藤廉平の名義となり次で三菱会社に属す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
- 山本貴三郎豊国第一坑を開く、後二十三年海軍予備炭田の開放により更に事業を拡張す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
- 四月九日福岡県布達第三十四号を以て石炭坑業人組合準則布達さる 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 貝島太助鞍手郡宮田村に大之浦炭坑を開く 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 田川郡に海軍予備炭田を指定さる 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 十一月十四日筑前区豊前国石炭坑業組合―創立当時の本会―創立さる 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 白土武市―善太郎氏の父―嘉麻郡頴田村に明治炭坑第一坑を開く。明治二十年に到り松木潜、安川敬一郎之を譲受け漸次事業を拡張す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 四月九日福岡県布達第三十四号を以て石炭坑業人組合準則布達せらる 本会の事績
- 十一月十四日筑豊石炭坑業組合創立さる―本会の前称―同月二十五日福岡県属石野寛平氏官を辞して組合(本会)総長に就任、遠賀郡若松村新地六百二十二番地に事務所を、鞍手郡直方遠賀郡蘆屋に各支部を置く 本会の事績
- 十二月二十八日組合申合規約並に総長就任認可せらる 本会の事績
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
- 一月組合各炭坑にて始めて鉱夫、労役者名簿を調製、本籍、身分年齢を記入せしむ 本会の事績
- 二月川艜各郡組合割当数及び運賃其他を協定す 本会の事績
- 五月組合申合規約を一部修正 本会の事績
- 九月海軍予備炭田の解放を海軍大臣に請願 本会の事績
- 農商務省総務局分析課に大辻炭外九種の試験を願出で、京阪神各需要方面に見本炭を送達す 本会の事績
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
- 十一月五日若松修多羅村新倉五百八十三番地(現在の本町九丁目若松駅構内)に組合(本会)事務所を新築移転す 本会の事績
- 三月宗像郡の炭坑主を一時組合(本会)に参加せしめたるも数ヶ月にして分離す 本会の事績
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
- 海軍予備炭田を鞍手郡御徳方面及び嘉穂郡熊田村に選定す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
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