※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 豊州鉄道株式会社創立さる | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 鯰田炭坑第一坑より嘉麻川沿岸に運炭用エンドレス、ロープを設備此後各炭山多く之に倣ふ | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 九月法律第八十七号を以て鉱業条例発布さる | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 九月鉱業条令発布さる | 本会の事績 | |
- | 十一月豊州鉄道株式会社創立さる | 本会の事績 | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 筑豊興業鉄道若松直方間開通、以後順次延長さる | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 柏木勘八郎金田炭坑を開く後毛利家の有に帰し更に三菱鉱業会社に属す | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 二月竜崎中和氏本会総長に就任す | 本会の事績 | |
- | 三月本会取締所を鞍手郡直方新町六十一番地に移転し次で外町千百七十六番地に置き、若松の事務所を支部とし、新に派出所を折尾払川に設置し、総長は本部、幹事は支部在勤とす | 本会の事績 | |
- | 五月組合炭坑機械方雇使規則、坑夫営業鑑札規程を協定作成。川艜は全部本会取締所にて雇入れ各坑要求数に応じて割当を行ふことゝす | 本会の事績 | |
- | 六月一年後に施行さるべき鉱業条令第十一条、第七十三条の鉱業税の猶予減額を請願す | 本会の事績 | |
- | 八月若松築港株式会社に補助金を支出す | 本会の事績 | |
- | 江川四千六百九十間を浚疏し、堀川五ヶ所の橋梁を改修、二島沖を浚渫す | 本会の事績 | |
- | 筑豊興業鉄道若松直方間開通 | 本会の事績 | |
- | 九月若松築港株式会社に前記の補助金の外更に五ヶ年間継続補助金支出 | 本会の事績 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 筑豊炭送出高年額百万瓲を超ゆ | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 福岡鉱山監督署開庁前後特に同署内に出張所を設け関係各炭坑の事務を代弁処理す | 本会の事績 | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 筑豊興業鉄道直方飯塚間及直方金田間開通す | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 鯰田炭坑に扇風機及び正式の選炭機を据付け安全燈を使用す、何れも筑豊地方に於ける嚆矢なり | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 三月竜崎中和氏本会総長辞任 | 本会の事績 |