※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 安川敬一郎経営の各炭坑に於て鉱夫納屋制度を廃止し直轄制度に改む、蓋し納屋制度廃止の嚆矢とす | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 六月豊国炭坑瓦斯爆発、御救恤金の下賜あり | 本会の事績 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 三井鉱山株式会社田川採炭組の事業を譲受く | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 三井鉱山田川採炭組の事業を譲受く | 本会の事績 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 赤池炭坑安川敬一郎の専有となる。豊国炭坑平岡清太郎の専有となる | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 九月豊州鉄道株式会社を九州鉄道株式会社に合併す | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 九月豊州鉄道株式会社九州鉄道株式会社と合併 | 本会の事績 | |
- | 福岡県工業学校採鉱科新設費に寄附す | 本会の事績 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 蔵内次郎作等第二峰地炭坑を開く | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 麻生太吉藤棚炭坑を譲受く | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 明治炭坑株式会社解散し同坑は安川敬一郎の専有となる | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 安川敬一郎は其経営に係る赤池炭坑に私立鉱山学校を起し予定の人員を養成すること二ケ年にして廃校す | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 本会各炭坑に於て石油カンテラ坑内使用の追次全廃を協定 | 本会の事績 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 方城炭坑(三菱)竪坑開鑿工事を起す | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 三好徳松頃末炭坑の跡を譲受け三好炭坑を起す | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 十月安達仁造氏総長辞任。安川敬一郎氏総長に就任 | 本会の事績 | |
- | 十二月炭坑納屋戸数割及戸別割税法福岡県会にて可決さる | 本会の事績 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 若松港特別輸出港に編入さる | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 日露戦役開始 | 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項) | |
- | 四月福岡県炭坑納屋戸数割及戸別割を賦課徴収せらる | 本会の事績 |