※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月1日 | 監督外務員制度実施 | 当社 | |
- | 総資産五〇〇〇万円突破 | 当社 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 商工省新設、保険監督業務を農商務省から移管 | 業界・一般 | |
9月10日 | 大連出張所新設 | 当社 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月1日 | 簡易保険局、郵便年金事業開始 | 業界・一般 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 昭和と改元 | 業界・一般 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌始まる | 業界・一般 | |
5月31日 | 保有契約高五億円突破 | 当社 | |
12月30日 | 浅草・上野間地下鉄開業(わが国初) | 業界・一般 | |
12月31日 | 総資産一億円突破 | 当社 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 第一回普通選挙実施 | 業界・一般 | |
2月 | 巡回宣伝募集実施 | 当社 | |
7月1日 | 「創業記念月大募集」全国実施 | 当社 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 支店の下部機関として募集事務所を大阪市内に設置 | 当社 | |
3月1日 | 「参拾万倶楽部」創設 | 当社 | |
10月24日 | ニューヨーク株式大暴落、世界恐慌起こる | 業界・一般 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 保険金倍額支払特約実施(業界初) | 当社 | |
1月11日 | わが国、金輸出解禁 | 業界・一般 | |
4月21日 | 本店社屋新築のため、本店を麹町区丸の内一丁目六番地の東京海上ビル新館に移転 | 当社 | |
10月1日 | 東京・神戸間特急列車燕号運転開始(片道八時間五五分) | 業界・一般 |