※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月23日 | 「京城」で朝鮮兵が反乱(壬午事変) | 一般社会事項 | |
7月 | 東京気象台(明21.1中央気象台に改称)移転(赤坂溜池→江戸城旧本丸内、代官町1) | 丸の内関連事項 | |
9月22日 | 本社職制改正(本務・会計・庶務の各課を新設し、会計課に勘定方・用度方・営繕方・筆紙墨方・地所方・機関監督助役・製図方を置く) | 当社関連事項 | |
12月 | 東京警視庁本庁竣工(鍛冶橋門内) | 丸の内関連事項 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 共同運輸会社開業(発起人渋沢栄一、益田孝ら) | 一般社会事項 | |
6月25日 | 熱海土地8反7畝を宮内省に献上し、宮内省は代替地として本郷駒込片町染井土地2町8反6畝を下付 | 当社関連事項 | |
7月28日 | 日本鉄道会社、上野―熊谷間開通 | 一般社会事項 | |
11月28日 | 鹿鳴館開館式(山下門内) | 丸の内関連事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 陸軍大学校、和田倉門内に新築移転 | 丸の内関連事項 | |
3月15日 | 地租改正条例廃止し、地租条例制定 | 業界・三菱グループ事項 | |
7月7日 | 郵便汽船三菱会社、工部省所管長崎造船所借上げ(明20.6払下げ) | 業界・三菱グループ事項 | |
12月17日 | 東京市区改正審査会設置(内務省内、会長には東京府知事就任。東京の都市改造の検討開始) | 丸の内関連事項 | |
12月19日 | 駒込土地4町6反8畝を取得(後の田園都市「大和郷」の宅地用地) | 当社関連事項 | |
- | (この年)東京府の人口100万人突破//明14からの不況深刻化(商業会社の倒産、閉店が相次ぐ) | 一般社会事項 | |
- | 三菱商業学校廃止 | 業界・三菱グループ事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月7日 | 岩崎弥太郎没(52歳) | 当社関連事項 | |
2月9日 | 小石川区巣鴨土地6町9反を取得(後の田園都市「大和郷」の宅地用地) | 当社関連事項 | |
2月18日 | 岩崎弥之助、社長に就任 | 当社関連事項 | |
5月28日 | 郵便汽船三菱会社、第百十九国立銀行の経営を継承 | 業界・三菱グループ事項 | |
10月1日 | 日本郵船会社開業(郵便汽船三菱会社と共同運輸の合併による) | 業界・三菱グループ事項 |