※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年ドイツ人ハーバー、空中窒素固定法を発明 | 政治・経済・社会一般 | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 米国に日本人排斥問題起る | 政治・経済・社会一般 | |
4月 | 当社と横浜精糖株式会社、神戸精糖株式会社との間に製造額の協定契約成立 | 大日本製糖および業界関係 | |
8月 | 大阪市北区若松町一に新築中の出張所落成のため移転 | 大日本製糖および業界関係 | |
9月 | 当社と横浜精糖株式会社、神戸精糖株式会社との間に、精糖共同販売の契約成立 | 大日本製糖および業界関係 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 会社の財産状態紊乱の責任を負い、酒匂社長以下全重役が連帯辞職 | 大日本製糖および業界関係 | |
1月 | 東京銀行集会所に大株主会を招集し、監査役より事業および財産に関する状況を報告し、株主はその整理を全監査役に一任 | 大日本製糖および業界関係 | |
3月 | 築地同気倶楽部に大株主会を招集し、後継役員選考尽力委員として藤山雷太以下五名を選挙 | 大日本製糖および業界関係 | |
4月 | 日糖疑獄事件起る | 大日本製糖および業界関係 | |
4月 | 日本橋区蠣殻町三丁目十二番地に新築中の出張所落成のため移転 | 大日本製糖および業界関係 | |
4月 | 臨時株主総会を日本橋倶楽部に開催し全役員を改選の結果藤山雷太取締役社長に就任 | 大日本製糖および業界関係 | |
7月 | 商務部本部を大阪より本社に移転 | 大日本製糖および業界関係 | |
8月 | 商務部大阪販売店を大阪市南区順慶町二丁目二十五番地に移転 | 大日本製糖および業界関係 | |
10月 | 日本橋倶楽部に開催の最終債権者大会において、対債権者整理案妥結 | 大日本製糖および業界関係 | |
10月 | 伊藤博文、ハルピンで暗殺される | 政治・経済・社会一般 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 砂糖消費税法施行規則が改正され、消費税担保物として、工場財産を提供し得ることが定められた | 大日本製糖および業界関係 | |
5月 | 砂糖消費税法施行規則が改正され、消費税担保に工場財産を提供するときは、胎権を設定すべきことが定められた | 大日本製糖および業界関係 | |
5月 | 台湾工場私設鉄道線のうち、崙背線の不定時運輸営業を許可される | 大日本製糖および業界関係 | |
7月25日 | 臨時株主総会において、現有工場に工場財団を設定し、消費税担保および年賦借入金のために胎権を設定することを決議 | 大日本製糖および業界関係 | |
8月 | 韓国併合条約締結 | 政治・経済・社会一般 |