※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月25日 | 海岸電気軌道を設立 | 事項 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
6月1日 | 貨物の運輸営業を開始 | 事項 | |
12月24日 | 安田善五郎が取締役社長に就任(安田善三郎と交代) | 事項 | |
- | 手動式閉そく信号機を絶縁軌条を設けた自動式に変更、使用を開始 | 事項 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月1日 | 川崎運河が完成し、工場用地、住宅用地の販売を開始 | 事項 | |
7月2日 | 帝国ホテル新館が営業を開始 | (欄外) | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 梅屋敷~雑色間の新設複線専用軌道が開通 | 事項 | |
5月1日 | 電灯電力供給事業を群馬電力に譲渡 | 事項 | |
8月27日 | 〓[○+湘][湘南電気鉄道]が横浜市~横須賀市~浦賀町~長井村~逗子町~六浦荘村間および長井村~三崎町間、逗子町~鎌倉町間の地方鉄道免許を得る | 事項 | |
9月1日 | 関東大地震(M7.9)により全線営業休止(9月11日に一部運転を再開) | 事項 | |
9月1日 | 関東大地震(M7.9) | (欄外) | |
10月18日 | 青木正太郎が取締役社長に再任(安田善五郎と交代) | 事項 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月26日 | 摂政裕仁親王(昭和天皇)、久運宮良子女王がご成婚 | (欄外) | |
3月29日 | 品川停留場(後に北品川停留場と改称)への市電乗入運転を開始 | 事項 | |
4月1日 | 第1回選抜中等学校野球大会を開催 | (欄外) | |
8月20日 | 群馬電力と受電契約締結 | 事項 | |
10月14日 | 横浜市青木町~横浜市長者町間の地方鉄道敷設の免許を得る | 事項 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 日本初の本格的半鋼製軽量ボギー車(旧51号形)20両の使用を開始 | 事項 | |
3月1日 | 東京放送局がラジオの試験放送を開始 | (欄外) | |
3月11日 | 品川鉄橋(八ツ山橋)~高輪間が開通し、路線が東京市内に入る(高輪停留場を開業) | 事項 |