※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 鉄道寮運輸課の駅長以下列車の取扱いに従事する職員の時間外勤務者に対して弁当料支給(大蔵省達第16号、明治24年3月28日廃止) | 主要事項 | |
5月1日 | 新橋・横浜間列車1日12往復運転となる | 主要事項 | |
5月5日 | 井上鉄道頭、新橋・横浜間旅客利便のため試みに通用期間3か月の上等「常乗切手」〔定期乗車券〕を120円で発売することを計画し同月17日、工部省山尾大輔に対し申し出、6月5日太政大臣名で認可されたが、発売実施に至らずに終わる | 主要事項 | |
5月 | 大隈大蔵省事務総裁山尾工部大輔および槙村京都府参事と関西鉄道会社総頭取三井三郎助同総代三井八郎右衛門との間に「鉄道建築用達会社取設に付議定書」調印(同会社による京都・大阪間鉄道建設資金募集進まず調達不可能になり政府は同年会社を解散し、京都・大阪間は政府の資金で建設することを決定) | 主要事項 | |
5月 | 神戸から芦屋川まで軌条を敷設 | 主要事項 | |
6月8日 | 三条太政大臣、陸軍省に軍事輸送に当たっては一般旅客輸送に悪影響のないよう注意するとともに工部省と緊密な協議を行なうよう指示 | 主要事項 | |
6月28日 | 両国川開きに横浜午後11時半発車新橋午後11時半・同12時発の臨時列車を設定 | 主要事項 | |
7月5日 | 工部省、各寮の職工・人夫死傷手当に関して「死傷賑恤規則」を制定(8年4月「死傷手当規則」となる) | 主要事項 | |
7月19日 | 太田鉄道助、新橋駅構内売店の建築費官費負担について伺い書を提出(8月9日承認) | 主要事項 | |
7月22日 | 鉄道頭井上勝退官し、鉄道助太田資政鉄道権頭に就任 | 主要事項 | |
7月22日 | 鉄道権頭太田資政 | 主要事項 | |
7月 | 開拓使雇アメリカ人ベンジャミン・スミス・ライマン、幌内地方の炭田を調査して報告(同年9月ケープロンこれを黒田次官に報告するとともに石狩炭田の石炭を輸送する方法として鉄道および石狩川を利用して小樽に送るかまたは直接室蘭まで鉄道で輸送するかの2方法がある旨をあわせて報告) | 主要事項 | |
7月 | 太政官達で暑中休暇付与を通達 | 主要事項 | |
7月 | 「新律綱領」は「改定律例」に改められ、「得遺失物」条項は「得遺失物条例」に変わる | 主要事項 | |
8月20日 | 新橋・神奈川・横浜の3停車場に荷物取扱所を設け、貨物の集配を行なう三井組の請願を許可(民間貨物集配の最初) | 主要事項 | |
8月 | 神戸・三ノ宮間複線軌条を敷設 | 主要事項 | |
9月3日 | 前島駅逓頭、鉄道頭に対し、郵便運賃の月間定額制を申出(同年9月15日承諾) | 主要事項 | |
9月13日 | 鉄道寮、新橋・横浜間の貨物営業開始に先だち、各駅に「ステーション張出」を掲出 | 主要事項 | |
9月14日 | 太政官から父母の祭日には休暇を賜わると通達 | 主要事項 | |
9月15日 | 新橋・横浜間で小荷物の受託を開始(運賃は全区間輸送のもの30斤まで25銭、中間駅着となるものはその半額、全区間輸送は貨車、中間駅発着のものはブレーキバン〔緩急車〕で輸送) | 主要事項 |