※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | ペリー、浦賀に来航 | 海運事項 | |
7月18日 | ロシア使節プチャーチン、長崎に来港 | 海運事項 | |
- | 川崎正蔵、長崎で貿易を始める | 当社事項 | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 川崎正蔵、大阪で商店を開く | 当社事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元 | 一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 東京を都に定める | 一般事項 | |
9月13日 | 川崎正蔵、土佐沖で遭難し、西洋型船の建造を決意 | 当社事項 | |
10月7日 | 太政官布告で西洋型船の建造購入を奨励 | 海運事項 | |
11月16日 | スエズ運河開通 | 海運事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 回漕会社設立(わが国最初の汽船会社) | 海運事項 | |
1月27日 | 郵船規則・商船規則布告 | 海運事項 | |
10月9日 | 岩崎弥太郎、土佐開成商社設立 | 海運事項 | |
10月18日 | 土佐開成商社を九十九商会と改称し、東京・大阪・高知間に運送業開始 | 海運事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 回漕会社を廃し回漕取扱所を設立 | 海運事項 | |
7月14日 | 廃藩置県実施 | 一般事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月10日 | 回漕取扱所を解散、日本国郵便蒸気船会社設立 | 海運事項 | |
11月9日 | 太陽暦採用、当年12月3日を明治6年1月1日とする | 一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 川崎正蔵、日本国郵便蒸気船会社副頭取に就任 | 当社事項 | |
- | 川崎正蔵、大蔵省琉球国産取調べを拝命 | 当社事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月18日 | 川崎正蔵、東京・大阪・琉球間に郵便航路開設(第1船大有丸) | 当社事項 |