※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 海上衝突予防規則制定 | 海運事項 | |
4月4日 | 台湾に出兵 | 一般事項 | |
- | 川崎正蔵、大蔵省全国御貢米回漕方御用を受命 | 当社事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月3日 | 三菱商会、横浜/上海航路開設(わが国最初の外国航路) | 海運事項 | |
6月 | 日本国郵便蒸気船会社解散 | 海運事項 | |
8月 | 英国船社がカルカッタ同盟結成(最初の航路同盟) | 海運事項 | |
9月15日 | 政府は三菱汽船会社(のち郵便汽船三菱会社)の保護育成を決定 | 海運事項 | |
11月1日 | 三菱商船学校創立 | 海運事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 石川島平野造船所設立(わが国最初の民営西洋型船造船所) | 海運事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 西南の役起こる(9.24終結) | 一般事項 | |
- | 川崎正蔵、大阪土佐堀に官糖取扱支店を開店 | 当社事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 川崎正蔵、東京築地に川崎築地造船所を創業 | 当社事項 | |
- | 川崎正蔵、兵庫に造船分所を設置 | 当社事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 尼崎汽船部設立 | 海運事項 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月10日 | 川崎正蔵は渋沢栄一、益田孝らと東京風帆船会社を設立し所有船を貸船 | 当社事項 | |
8月 | 日本海員掖済会創立 | 海運事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 川崎正蔵、兵庫東出町に川崎兵庫造船所を開設 | 当社事項 | |
4月 | 越中風帆船会社設立 | 海運事項 | |
10月9日 | 松方大蔵卿、不換紙幣の整理に着手 | 一般事項 | |
- | 川崎正蔵の所有船竜王丸和歌山県南部沖で沈没 | 当社事項 |