日本電信電話公社技術局『電気通信自主技術開発史. 交換編』(1976.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
11月3日 逓信省内にキースラインスイッチ式自動交換機を設置し、PBXとして試用 国内
- 電気試験所でSH式模型自動交換機を購入し、自動交換機の研究に着手 国内
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
2月1日 京都・伏見間にABトール扱いを実施 国内
4月1日 大連電話局をストロージャ式自動交換機(ATM:5,000T)により自動改式 国内
10月 京浜地区の震災復興に自動交換機の採用を決定、東京はA形とする 国内
- ドイツ: ワイルハイム局においてZZZの技術に成功 外国
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
12月 横浜中央電話局及び長者町局にはH形自動交換機(SH)を採用することを決定 国内
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
12月 大阪・神戸にH形自動交換機(SH)の採用を決定 国内
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月20日 東京の京橋局をA形自動交換機(ATM)により自動改式 国内
1月20日 コールインディケータを東京の市内手動局に採用 国内
3月25日 横浜中央電話局及び長者町局をH形自動交換機(SH)により自動改式 国内
1926年 - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
- スウェーデン: 3,500回線のクロスバ方式をサンズバル局に採用 外国
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
10月15日 3号大形共電式市外交換機を名古屋中央電話局に採用 国内
11月 英国: ディレクタ方式を初めてロンドンのホールボーン局に採用 外国
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
7月29日 住吉・天下茶屋発大阪着に扱者市外ダイヤルを実施 国内
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
3月24日 3号C共電式市外交換機を浜松局に採用 国内
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
2月2日 SB式自動交換機により芦屋局(2月2日)、御影局(3月16日)を自動改式 国内
4月1日 我が国最初の国産A形自動交換機により中野局(2,000回線)を自動改式 国内
9月21日 東京・川崎間(9月21日)、御影・神戸間(9月17日)に即時通話方式を実施 国内
- 自動式公衆電話を東京、大阪、横浜で試験 国内
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