※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月21日 | 特別至急通話制度を実施 | 国内 | |
- | 6回線サイラトロン式自動交換機の試作実験に成功 | 国内 | |
- | スウェーデン: 41形クロスバ方式(200回線以下用)を標準化 | 外国 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 福岡・北九州都市間に扱者による100kmの商用周波交流ダイヤル方式を実施 | 国内 | |
- | 東京・大阪間で長距離市外ダイヤル方式を試験的に実施 | 国内 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 横動回転形スイッチの3次試作完成 | 国内 | |
4月10日 | A形の増圧式度数登算方式を複局地として初めて東京の城東局に実施 | 国内 | |
8月 | 米国: No.4クロスバ方式をフィラデルフィアに採用 | 外国 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 自動局の共電式への逆改式始まる 岸和田局(1月30日)ほか | 国内 | |
6月11日 | 60号制御式市外交換機を名古屋第2市外局に採用 | 国内 | |
10月 | 超短波多重電話回線が東京・大阪間に仮開通 | 国内 | |
- | 米国: ハーバード大学でリレー式計算機MARK‐Iを完成 | 外国 | |
- | 米国: ロスアンゼルス地区Culver Cityで自動交換証作成方式を採用 | 外国 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米国: J.von Neumannが蓄積プログラム方式による電子計算機を提案 | 外国 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 新形電話機(4号電話機)の研究に着手 | 国内 | |
- | 米国: ペンシルバニア大学で電子計算機ENIACを完成 | 外国 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 米国: Shockleyらトランジスタを発明 | 外国 | |
- | 米国: No.5クロスバ方式によりフィラデルフィア市近郊のMedia‐Pa局を開局し、自動料金計算装置(AMA)を採用 | 外国 | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 紙幣式公衆電話を設置 | 国内 | |
8月1日 | 逓信省電気通信研究所設立 | 国内 |