日本電信電話公社技術局『電気通信自主技術開発史. 交換編』(1976.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
3月26日 最初のL/F方式局として豊橋局を自動改式 国内
11月 10加入以下のリレーサテライト式交換機を静岡の下阿多古局ほか7局に採用 国内
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
4月21日 東京駅など市内4箇所にダイヤル式自動公衆電話を設置 国内
- 松前重義無装荷搬送方式を提唱 国内
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
4月11日 大阪・神戸間にCLR法による準即時市外通話サービスを開始 国内
4月 3号電話機の製造を開始 国内
5月21日 3号中形共電式市外交換機を岡山局に設置 国内
6月16日 中野(一部加入者)発東京着の自動即時サービスを試行 国内
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
1月 電気通信技術委員会を設置 国内
2月11日 大牟田の三川局が初めての無人従局として開局 国内
4月 福岡、広島に単局地として初めて度数料金制を実施 国内
5月1日 増楽《ぞうら》局(静岡)、都跡《みやと》局(奈良)に小自動交換方式(A‐1号)を採用 国内
6月10日 我が国最初の国産H形自動交換機により鶴見局(1,800回線)を自動改式 国内
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
3月30日 市内電話設計資料心得(AK9006号調書)を制定 国内
9月1日 近郊自動即時サービスを荏原発東京着に実施 国内
10月21日 東京・横浜間に扱者による商用周波交流ダイヤル方式を実施 国内
- 初期の市外帯域区画を策定―RC17、DC92、TC607― 国内
- 5・6数字混合地域用1数字吸収セレタタを名古屋の熱田局、瑞穂局に採用 国内
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
2月 津軽海峡で超短波多重電話の実験及び工事を開始 国内
12月22日 市外通話料を27段階から31段階に改正 国内
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