※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保8年(1837) | - | 米人、サムエル・モールスがモールス電信機発明 | 電信年表 |
嘉永7年(1854) | 2月24日 | ペリー提督、幕府に献上のモールス電信機を横浜において実験 | 電信年表 |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月7日 | 神奈川府判事寺島陶蔵(寺島宗則)東京~横浜間に電信建設を建議 | 電信年表 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | [原本1869年]電信架設の廟議決定 | 電信年表 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月9日 | 横浜弁天灯明台~神奈川県裁判所間に官用通信開始、電信主管庁は外務省灯台役所 | 電信年表 | |
9月18日 | 主管庁は民部大蔵省となる | 電信年表 | |
9月19日 | 神奈川県裁判所構内に伝信機役所開設 | 電信年表 | |
9月19日 | (月日は旧暦)東京~横浜間(東京築地鉄砲洲運上所~神奈川県裁判所間)電信線建設工事に着手(太陽暦で10月23日) | 電信年表 | |
9月 | 伝言機取扱規則制定 | 電信年表 | |
10月12日 | 築地鉄砲洲運上所内に伝信機役所を開く | 電信年表 | |
11月 | 「伝信機の布告」が公布される。伝信機役所を伝信局と改称 | 電信年表 | |
12月25日 | (月日は旧暦)電信創業・東京~横浜間に公衆和文通信開始、ブレゲー指字機使用(太陽暦で明治3年1月26日) | 電信年表 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月16日 | 東京~横浜間に横文(欧文)通信開始 | 電信年表 | |
7月10日 | 民部、大蔵の2省分割により、主管庁は民部省となり初めて伝信機掛をおく | 電信年表 | |
10月20日 | (閏10月)工部省設置、鉱山、製鉄、灯台、電信、鉄道等を所管 | 電信年表 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 東京伝信局~外務省(霞ヶ関)の電信開通 | 電信年表 | |
4月12日 | 皇居~東京伝信局の電信開通 | 電信年表 | |
6月26日 | 大北電信会社の長崎~上海間海底線、通信開始 | 電信年表 | |
8月14日 | 工部省に電信寮設置 | 電信年表 | |
10月 | シーメンス・モールス印字機初めて英国から輸入、和文モールス符号を制定 | 電信年表 |