※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 横浜電話交換局を東京電話交換局横浜支局に組織変更 | 横浜の電話のあゆみ | |
8月 | 日清戦争が始まる | 横浜の主な出来事 | |
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 横浜商業会議所が発足する | 横浜の主な出来事 | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 日本郵船が欧州航路を開設する | 横浜の主な出来事 | |
7月 | デルビル磁石式壁掛電話機登場 | 日本の電話のあゆみ | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 加入区域制度・順番開通制度・加入権譲渡制度制定 | 日本の電話のあゆみ | |
12月 | 初の卓上型電話機・デルビル磁石式甲号・乙号登場 | 日本の電話のあゆみ | |
12月 | 横浜郵便電信局で、電話発信による電報の取扱いを開始 | 横浜の電話のあゆみ | |
12月 | 東京電話交換局横浜支局を横浜電話交換局に組織変更 | 横浜の電話のあゆみ | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 電話番号簿イロハ順となり、職業名を併記 | 日本の電話のあゆみ | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 東京・大阪間で初の長距離通話開始(1通話1円60銭) | 日本の電話のあゆみ | |
7月 | 条約改正実施で居留地が廃止される | 横浜の主な出来事 | |
12月 | 横浜・神戸間及び横浜・大阪間で長距離通話開始 | 横浜の電話のあゆみ | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 横浜・名古屋間で長距離通話開始 | 横浜の電話のあゆみ | |
9月 | 新橋・上野駅構内に初の「自働電話」(公衆電話)登場 | 日本の電話のあゆみ | |
10月 | 東京・横浜間で「自働電話」開始 | 日本の電話のあゆみ | |
10月 | 京橋のたもとにボックス式「自働電話」登場 | 日本の電話のあゆみ | |
10月 | 「自働電話」開始 | 横浜の電話のあゆみ | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 長者町、神奈川、本村通、戸部町、高島町、保土ヶ谷の6電話所開設 | 横浜の電話のあゆみ | |
4月 | 第一次市域拡張が行われる | 横浜の主な出来事 |