※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 京浜間の電話地下ケーブルが開通する | 横浜の電話のあゆみ | |
7月 | 横浜生糸取引所が無線電話の設置を申請する | 横浜の電話のあゆみ | |
9月 | 関東大震災起こる(被害総戸数94,882戸、死者21,384人) | 横浜の主な出来事 | |
9月 | 関東大震災のため、東京、横浜を中心に電信電話の被害拡大 | 日本の電話のあゆみ | |
9月 | 関東大震災のため、被害甚大(加入者数10,500のうち、9,900が焼失) | 横浜の電話のあゆみ | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 市外通話1通話5分制から3分制に。継続は3通話までに改正 | 日本の電話のあゆみ | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 電話番号簿を横書・算用数字・50音順とし、局番を掲載する | 日本の電話のあゆみ | |
5月 | 電話特別開通制度制定 | 日本の電話のあゆみ | |
7月 | 横浜高工と横浜高商の野球定期戦が始まる | 横浜の主な出来事 | |
10月 | 「自働電話所」を「公衆電話所」と改称 | 日本の電話のあゆみ | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 東京で初の自動交換サービス(ステップバイステップ方式)開始 | 日本の電話のあゆみ | |
1月 | 東京で電話番号代表制開始 | 日本の電話のあゆみ | |
3月 | 京浜第一国道が開通する | 横浜の主な出来事 | |
3月 | 自動交換サービス(H形方式)開始 | 横浜の電話のあゆみ | |
4月 | 北海道・本州間の市外通話開始 | 日本の電話のあゆみ | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 金融恐慌で左右田銀行が休業する | 横浜の主な出来事 | |
4月 | 第三次市域拡張が行われる | 横浜の主な出来事 | |
9月 | 東京・大森(東京府下)、大阪・天下茶屋、住吉間で初のダイヤル市外通話サービス開始 | 日本の電話のあゆみ | |
10月 | 区制(中・磯子・神奈川・保土ヶ谷・鶴見区)が施行される | 横浜の主な出来事 | |
11月 | 岸壁電話、横浜港に登場 | 日本の電話のあゆみ |