※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 札幌中央放送局が開設された。 | ||
7月1日 | 第1回全国安全週間が実施された。 | ||
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 明治12年以来という大雪が全道を襲った。 | ||
4月15日 | 本店所在地の地番が区画整理により東京市麹町区丸ノ内1丁目6番地の1と変更になった。 | ||
5月 | 札幌工場でタール蒸留室を焼いた。ただしガスの製造および供給には影響がなかった。 | ||
6月 | 駒が岳が噴火山ろく地帯に被害。 | ||
7月2日 | 浜口内閣が金融恐慌以来の不況を救うため緊縮政策を採用このため物価が下落した。 | ||
7月20日 | 札幌市内における高圧導管の埋設が許可された。//なおこの許可により圧送装置などの設置および高圧管の埋設工事などに8月より着手し11月より高圧圧送を開始した。このときの高圧管は200mmと150mm管で総延長数は2,730m。 | ||
10月21日 | ニューヨークの株式市場で大暴落が起こりそのまま世界的な恐慌へと発展した。 | ||
11月21日 | 浜口内閣が金輸出解禁を昭和5年1月より実施することを発表した。 | ||
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 浜口内閣が前年に発表した金輸出解禁を断行した。//この結果輸出が減退し経済界の不況はさらに悪化した。 | ||
4月22日 | ロンドン軍縮協定が調印された。 | ||
6月24日 | 札幌市につづき函館市でも市内の高圧管埋設を許可された。//この許可により圧送装置などの設置および市内高圧管の埋設工事に6月より着工し11月より高圧圧送を開始した。このときの高圧管は150mmおよび100mm管で総延長数は4,777m。 | ||
8月10日 | 札幌市東部(豊平および白石方面)へのガス供給を豊平川架管工事が完了したので開始した。 | ||
10月 | この年北海道の農産物が豊作となりこのため米価などを中心に農産物価格が大暴落した。 | ||
11月14日 | 浜口首相が東京駅でそ(狙)撃された。 | ||
11月30日 | コークス市場開発のため北ガス・コークスストーブの貸付けをはじめた。このストーブには社員・佐々木健介が考案した回転ロストルが取付けられた。 | ||
- | この年第2回国勢調査が行なわれた。 | ||
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月31日 | 札幌工場に火災が発生その復旧工事のため翌日0時より約10時間ガスの供給を停止した。 | ||
3月27日 | 瓦斯事業法が改正・公布された。(施行は7月15日) |