※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 塩谷製造所を三たび小樽営業所の所属に復し塩谷工場とした。(職制の改訂) | ||
3月11日 | 本店および札幌営業所の所在地の払下げを帝室林野局札幌支局長に対して出願した。 | ||
3月15日 | 第1次世界大戦終結の反動により株式市場が大暴落しそれまでの好景気に終止符がうたれた。 | ||
4月 | 金融恐慌が起こり各地の銀行取付けひん発。一般経済恐慌へと発展した。 | ||
4月 | にしん漁。未ぞう(曽有)の豊漁となる。 | ||
5月1日 | わが国ではじめてのメーデーが開催された。 | ||
6月1日 | 硫酸アンモニアの生産を全面的に中止した。(なお札幌工場でもこの年はじめより生産を再開していた) | ||
6月14日 | 夕張炭砿で大爆発が発生し死者209名を出した。 | ||
8月4日 | 北海道庁長官に対して出願(6月11日)していたガス料金割引制度の廃止が認可されたので8月分料金より実施した。 | ||
12月15日 | 社長制度を採用し取締役社長に犬上慶五郎が就任した。 | ||
- | この年第1回国勢調査が行なわれた。本道の人口は235万9,000名札幌区は10万7,000名。 | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月6日 | 帝国瓦斯協会で取付中のガスメーター検定期間延期を農商務大臣に陳情した。 | ||
4月14日 | 函館区に大火が発生し2,041戸を焼失した。この火災により末広町にあった函館営業所を焼失したほか一挙に約1,000戸の需用家を失うなど当社としても大きな被害をうけた。//なお函館営業所の焼失により仮事務所を亀田村所在の函館工場内に設置した。 | ||
4月25日 | 前年に帝室林野局に対して出願していた御料地(本店および札幌営業所所在地)払下げについて認可されると共に地番が札幌区苗穂町373番地と変更になった。(変更登記は9月10日) | ||
4月 | メートル法が採用になった。(施行は大正13年7月1日) | ||
5月24日 | 函館区鶴岡町69番地に建物を買収し改装のうえ函館営業所を移転した。 | ||
11月4日 | 原敬首相が暗殺された。 | ||
12月12日 | ワシントン軍縮協定が日・米・英・仏4カ国の間で締結された。 | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月3日 | ガス事業法案が第45回帝国議会にはじめて提出された。ただし貴族院特別委員会において審議未了のため不成立となった。 | ||
4月17日 | 株価が大暴落し不況が慢性化した。 |