※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月2日 | 函館区で大火が発生し1,763戸を焼失した。 | ||
9月1日 | 工場法が施行された。 | ||
12月18日 | 函館工場でも硫酸アンモニア製造の許可を得て製造をはじめた。 | ||
- | この年夏以来炭価が急騰を続けた。 | ||
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | 全道にわたり暴風雨が襲い大きな被害が出た。 | ||
2月14日 | 全国主要ガス会社によって炭価・運賃などの高騰を理由とする「ガス料金値上げ」の決議がなされた。 | ||
4月 | 第1次世界大戦にアメリカも参戦し戦争が拡大した。 | ||
7月 | 第1次北海道拓殖計画を2カ年延長して17カ年計画とした。 | ||
9月12日 | 金輸出禁止令が施行になった。 | ||
9月 | 第1次世界大戦がはじまって以来石炭・鉄などの価格高騰などが原因して経営難から地方ガス会社の解散があいついで出た。 | ||
12月4日 | 製司コークスの生産を目的に函館工場でソルベー式室炉1基(8室ガス製造能力1,500m3/d)の建設を行なっていたが完工したのでガスの製造をはじめた。 | ||
12月6日 | 取締役に太田半六が就任した。 | ||
12月15日 | ガス料金変更(値上げ)の申請を北海道庁長官に対して行ない同時に札幌・小樽・函館各区の区長に同意を求めた。 | ||
12月27日 | 函館工場につづき札幌工場にもソルベー式室炉1基(6室ガス製造能力1,500m3/d)の建設を行なっていたが完工したのでガスの製造をはじめた。 | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月25日 | 会長制を廃止した。//同じ日太田半六・平松末吉が常務取締役に就任した。 | ||
3月 | 本格的に製司コークスの生産を図るため塩谷工場(3基48室ガス製造能力10,800m3/d)つづいて函館工場(2基32室ガス製造能力7,200m3/d)でそれぞれソルベー式室炉の建設に着手した。ただし完工は翌年となった。 | ||
4月1日 | 小樽営業所塩谷工場をふたたび小樽営業所から分離し塩谷製造所とした。(職制の改訂) | ||
5月8日 | 帝国瓦斯協会で炭価調整および料金値上げにつき農商務大臣に陳情した。 | ||
7月19日 | 前年に出願していたガス料金の変更について北海道庁長官より認可を得た。なお実施は8月分料金よりとなった。 | ||
7月23日 | 米価の高騰などにより生活状態が悪化し富山県の一漁村に発生した米騒動が全国各地に波及した。 |