北海道瓦斯(株)『北海道瓦斯55年史』(1966.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
6月 函館営業所函館工場内にガスメーター工場を開設した。
9月20日 札幌営業所所在地が地番変更になり札幌市北4条東5丁目373番地となった。
9月29日 瓦斯事業法施行令が公布された。(施行は10月1日)
10月1日 大正12年に公布された瓦斯事業法および瓦斯事業法施行令が施行になり同時に瓦斯事業法施行規則が公布・施行になった。
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
7月1日 健康保険法が施行された。
8月 職工扶助規程が制定・実施された。
8月 札幌市で国産振興博覧会が開催された。
昭和元年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月25日 大正天皇がおなくなりになり年号が大正から昭和に改元になった。
1926年 - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
- この年全道的に凶作となった。//また札幌・東京間の直通電話が開通した。
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
3月15日 震災手形の処理問題めぐる動揺から渡辺銀行が休業したのに端を発し東京横浜附近の中小銀行があいついで休業に入り金融恐慌が起こる。
4月1日 第2期北海道拓殖計画が樹立され実施になった。
4月18日 貿易商社・鈴木商店破産のあおりをうけて台湾銀行がついに休業し金融恐慌は最高潮に達した。
4月22日 三週間を期限とするモラトリアム(支払延期)の緊急勅令が公布・施行になった。//平時におけるモラトリアムは世界にも前例がなかったといわれ金融恐慌の激しさを物語っている。//なおこの金融恐慌により休業した銀行は37に達した。
5月28日 中国・山東省への第1次出兵が行なわれた。
10月15日 帝国瓦斯協会が社団法人となった。
12月27日 ガスの圧力および熱量が出願どおり認可された。なお認可内容はつぎのとおり//ガス圧力 38m水柱//ガス熱量3,700kcal/m3
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月20日 第1回普通選挙が行なわれた。
4月1日 ガス料金責任使用量を500ft3から300ft3に変更した。
4月19日 中国・山東省への第2次出兵が行なわれた。
5月3日 済南事件が起こり中国の排日運動が激化した。
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