※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和40年(1965) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会、『渋沢栄一伝記資料』第58巻を刊行、解散。引き続き竜門社が刊行する別巻10巻の編集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月22日 | 北炭夕張鉱業所第一鉱でガス爆発が起こり死者62名を出した。道内の炭鉱事故としては戦後最大の惨事となった。 | ||
3月6日 | 山陽特殊製鋼(株)で経営の行きづまりから神戸地裁に会社更正法の適用を申請。負債総額460億円といわれ戦後最大の倒産となった。//なおその影響もあって翌々日(3月8日)には東京証券取引所におけるダウ平均株価が35年5月19日以来4年半ぶりに1,200円台の大台を割り1,190円98銭の水準までさげた。 | ||
4月1日 | 札幌の北ガスの店を再編成し委託業務を大幅にふやした。 | ||
4月1日 | 地方税法が改正され電気ガス税の免税点が300円からガス500円・電気400円に引上げられた。 | ||
4月30日 | 札幌の1号ガスホルダー1基(2,300m3 創業以来のもの)が廃止された。 | ||
5月1日 | 青函トンネルの調査斜坑が海底に達した。 | ||
5月15日 | 住宅資金貸付制度が実施になった。 | ||
5月20日 | 第3回ガス展が小樽 札幌 函館の順で開催された。(~6月6日) | ||
5月21日 | 証券界不況のあおりをうけて経営難が深刻化していた山一証券(株)に関し大蔵省・日銀・取引金融機関の間で金利タナ上げという異例の措置をふくむ再建策を発表した。 | ||
7月3日 | 土曜半休制が実施になった。 | ||
7月14日 | 工事能力増強のため札幌・供給課に無線装置が装備された。 | ||
9月11日 | 小樽工場にMS式ナフサガス発生装置2基(ガス製造能力40,000m3/d)が完工しガスの製造をはじめた。//なお同時にHG式室炉は休止に入りのちに廃止(41年2月)された。これにより当社のガス源転換は全面的に完了した。 | ||
9月11日 | 札幌市真駒内泉町1丁目に前年につづき社員アパート(1棟24戸)が完成した。 | ||
11月3日 | 札幌市・下野幌団地にLPGによる配管供給をはじめた。札幌市の要請によるもので当社としてははじめての試みである。なお同地区では集金を原則として行なわず金融機関等を利用した払込制度を全面的にしいた。 | ||
昭和41年(1966) | - | 【竜門社】創立80周年記念式典を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 富岡順三郎が専務を退任しかわって田中三郎が専務取締役に就任した。 | ||
3月 | 職務分析委員会が全作業を完了し解散になった。 | ||
4月1日 | 札幌市・下野幌地区につづき札幌市・真駒内地区でも料金払込制度を全面的に採用し集金業務を原則的に廃止した。 | ||
4月20日 | 当社主催の料理教室が札幌でもはじまった。 | ||
4月27日 | 1972年に開催される第11回冬期オリンピック大会の開催地が札幌市に決定した。 | ||
5月19日 | 第4回ガス展が小樽 札幌 函館の順で開催された。(~6月5日) |