※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月5日 | 第一次共産党事件。 | 一般歴史年表 | |
6月20日 | 日本航空株式会社創立。 | 一般歴史年表 | |
6月28日 | 日本代表川上俊彦、ソヴィエト代表ヨッフェと日ソ予備交渉を開始。7.31交渉打切り。 | 一般歴史年表 | |
7月6日 | 有島武郎《たけお》と波多野秋子(婦人公論記者)との心中死体が発見され、各方面に衝撃。 | マスコミ出版年表 | |
7月24日 | 連合国・トルコ間で、ローザンヌ講和条約調印。 | 一般歴史年表 | |
8月6日 | 東京・大阪の新聞通信社、文部省臨時国語調査会発表の漢字制限の実行を申しあわす。 | マスコミ出版年表 | |
8月28日 | タイピスト(専任者)を初採用。 | 講談社年表 | |
9月1日 | 関東大震災により、東京雑誌協会は各誌1ヵ月の休刊を決議。講談社では12月号を休刊とした。 | 講談社年表 | |
9月1日 | 関東大震災。午前11時58分44秒、関東地方に大地震。東京・横浜など大火災となり、すべての都市機能停止。流言蜚語《ひご》が乱れ飛ぶ。 | 一般歴史年表 | |
9月1日 | 関東大震災のため、関東の新聞出版は壊滅《かいめつ》状態。 | マスコミ出版年表 | |
9月2日 | 加藤友三郎首相の病没により、第2次山本権兵衛《ごんべえ》内閣成立。 | 一般歴史年表 | |
9月2日 | 東京市ほか5郡に戒厳令。朝鮮人暴動の流言で、朝鮮人虐殺おこる。 | 一般歴史年表 | |
9月16日 | 憲兵大尉甘粕《あまかす》正彦ら、大杉栄《さかえ》・伊藤野枝《のえ》夫妻らを扼殺《やくさつ》。 | 一般歴史年表 | |
9月16日 | 東京市人口、退京297万名、入京190万名で差引106万7000名減。11.15には152万9000名余と発表(震災前比61%減)。 | 一般歴史年表 | |
10月1日 | 『大正大震災大火災』をいち早く刊行。初版30万、増刷10万、計40万部のベストセラーとなり、出版業界建直しに貢献(雑誌扱いで雑誌販売店に配本し、販売機構の改革を実現)。 | 講談社年表 | |
10月12日 | 東京出版協会、震災前に製本完了しながら焼失したものは印税免除、紙型焼失で新組みをおこすものは2000部まで30%の軽減を、著作者に要請する文書を全会員に配布。 | マスコミ出版年表 | |
10月 | 「少年倶楽部」10月号、創刊10周年記念号として発行(100ページ増の264ページで)。 | 講談社年表 | |
10月 | 「少女倶楽部」10月号、安寧違反で本文の切取りを命ぜられる(読者の作文募集で入選した作品が問題となる)。 | 講談社年表 | |
10月 | 震災後、70誌余の10月号が刊行されたが、廃刊・休刊誌が続出。 | マスコミ出版年表 | |
11月8日 | ヒトラー、ミュンヘンで暴動を起こし、失敗。 | 一般歴史年表 |