※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安永3年(1774) | - | 日本初の翻訳書 杉田玄白『解体新書』 | 日本の出版・印刷関連 |
安永9年(1780) | - | 仙台藩 戸板保佑『関算四伝書』を編纂 | 日本の出版・印刷関連 |
文化12年(1815) | - | 杉田玄白『蘭学事始』 | 日本の出版・印刷関連 |
天保11年(1840) | - | 【渋沢栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれる。幼名は市三郎。渋沢家は代々の農家で養蚕と製藍を兼業。〔0歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月13日 | 渋沢栄一生まれる | 社会の動き | |
1853年 | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (江戸時代末期(廃藩のころ))仙台藩の出納役だった畑谷豊治の父、藩を辞して商売を始める | 笹気出版印刷関連 | |
- | (江戸時代末期(廃藩のころ))畑谷豊治、笹気太助の養子となる | 笹気出版印刷関連 | |
- | (江戸時代末期(廃藩のころ))豊治、仙台城下国分町で紙商「畑谷商店」を始める | 笹気出版印刷関連 | |
寛永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 黒船来航 ―これより明治維新までを「幕末」という― | 社会の動き | |
安政5年(1855) | - | 長崎海軍伝習所にてオランダ人より西洋数学を学ぶ | 社会の動き |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月9日 | 豊治の三男・慶治郎生まれる | 笹気出版印刷関連 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 戊辰戦争起る | 社会の動き | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月23日 | 明治改元 | 社会の動き | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月18日 | 戊辰戦争終わる | 社会の動き | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 廃藩置県により仙台藩は仙台県となる | 社会の動き | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 福沢諭吉『学問のすすめ』初編出版 | 日本の出版・印刷関連 | |
- | 「宮城活版社」創業 | 社会の動き | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 日本初の「徴兵令」発布 | 社会の動き | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 『東北新聞』創刊 | 日本の出版・印刷関連 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東京王子に『抄紙工場』創業 西洋紙生産開始 | 日本の出版・印刷関連 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 国立第七十七銀行創業 | 社会の動き |