※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月13日 | 本紙に連載した「米相場考」を単行本として出版、三百八十ページ、二千部限定版。 | ||
5月20日 | 外米払い下げにからまる農商務省通達偽造事件起こり全文を本紙に掲載したため号外を発行して取り消す。 | ||
12月1日 | 広告料金改定、一行二十二字詰め十銭に引き上げ(行数および回数による割り引き制は従来通り)。 | ||
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 初刊六ページ。 | ||
3月24日 | 紙面改善、紙幅を広くし一行五号活字二十三字詰め一段ルビ付き五十八行となる。 | ||
4月10日 | 「論説」欄をつくり社外寄稿家の経済論策を収録。 | ||
7月12日 | 第一面に広告を初めて掲載。 | ||
10月30日 | 濃尾地方大地震、野崎広太記者を現地に特派。 | ||
11月8日 | 濃尾大地震の写真四十余枚を本社前に掲げて縦覧に供す。 | ||
11月25日 | 議会開会、この日から毎日、本紙二ページ大の付録を添えて議会関係の記事を収録。 | ||
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 広告料金改定、一行五号活字二十三字詰め十二銭に引き上げ、二日以上は十銭、七日以上八銭とする | ||
4月15日 | 本紙とは別に日刊夕刊「商業新報」(二ページ建て)を発行、一部売り五厘、一カ月十銭として無休刊、広告料一行二十字詰め十銭、二日以上掲載八銭、この夕刊紙は明治二十七年一月廃刊。 | ||
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊十二ページ。決算広告など殺到し一月中二十回増ページ、二月にも六ページ発行十九回に及ぶ。 | ||
3月19日 | 六ページ建てを実施、同時に地方通信の充実を図る。 | ||
7月2日 | 商法一部施行により商業登記事項を毎日載せる。 | ||
11月15日 | 広告料金改定、一行十三銭に引き上げ、二日以上十一銭、七日以上十銭。 | ||
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊十二ページ。 | ||
6月6日 | 「内外生糸相場累年高低表、付外国為替相場累年高低表」を刊行、一部八銭。 | ||
6月8日 | 韓国東学党の乱は、記事差し止めとなったが法にふれない範囲で京城特別通信員の報道記事を掲載する旨を社告、京城通信員財部元次郎。 | ||
6月15日 | 広告料金改定、一行五号活字二十三字詰め十四銭に引き上げ、二日以上十二銭、七日以上十一銭とする。 |