※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月3日 | 「貨物集散調」欄をつくり東京市の貨物集散状況を報道。 | ||
5月15日 | 広告料金を引き上げ一行三十六銭とする。 | ||
5月16日 | 「英文商況」欄を新設して外人との商取引の便宜をはかる。三十七年十一月十日廃止。 | ||
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊二十ページ。 | ||
1月1日 | 東京区裁判所管内の登記公告本紙だけに掲載を指定され、その後三十七年まで四年間は本紙の独占となる。 | ||
1月1日 | 講談を連載。 | ||
5月15日 | 大相撲五月場所はじまる、本場所から相撲記事を特に大きく扱う。 | ||
7月12日 | 本社出資者上田安三郎死去。 | ||
10月1日 | 「中外調査部」欄をつくり経済関係法規の紹介、解説をする。 | ||
12月24日 | 「中外倶楽部」欄を設け劇評、相撲、趣味、娯楽記事、随筆等を収録。 | ||
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊二十ページ。 | ||
5月1日 | 蚕糸記事を充実する。 | ||
9月26日 | 本社出資者今村清之助死去。 | ||
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊二十ページ。 | ||
1月14日 | 「中外日記」欄をつくり時事評論を掲載。 | ||
5月1日 | 広告料金改定、一行四十銭に引き上げ。 | ||
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊二十ページ。紙面を刷新、一行二十字詰め、一ページ六段とし市況欄を十九字詰め八段とする。 | ||
1月16日 | 京城に特派した永田成美記者の第一信を掲載。 | ||
2月8日 | 日露関係風雲急を伝え、この日から連日号外発行。 | ||
2月18日 | 三田村玄竜記者を佐世保に特派。 |