※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 俳句を懸賞募集、これを第一回として大正四年四月まで続く。 | ||
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊二十八ページ。 | ||
6月2日 | 従来の一行五号活字二十字詰めを十七字詰、一ページ七段に改め、商況欄は六ポイント十九字詰め八段とする。 | ||
9月7日 | 佐藤新衛記者をウラジオに特派、第一信を掲載。 | ||
9月10日 | 広告料金改定、一行五号活字十七字詰め五十銭、場所指定一行七銭増。 | ||
10月10日 | 台湾縦貫鉄道完成祝賀式参列のため村上幸平記者を特派。 | ||
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊三十六ページ。 | ||
1月10日 | 社会欄のカットに「社会」の二字を挿入。 | ||
1月13日 | 大相撲春場所始まる、本場所から星取表を掲載。 | ||
2月19日 | 事件の速報写真初めて紙上に登場。 | ||
3月14日 | 商況社の商号を中外商業新報社と変更。 | ||
3月17日 | 紙面を拡大刷新八ページ建て、従来の一ページ七段(一段五十六行)を八段(六十行)、商況欄の八段を九段に改め、日曜祭日の翌日休刊制を廃して年中無休刊制(日曜祭日の翌日は四ページ)を実施、購読料も一部売り一銭五厘を二銭、一カ月三十八銭とする。 | ||
3月17日 | 仏国に注文した新輪転機の据え付けを終わる。 | ||
4月11日 | 「商事応答」欄を新設。 | ||
7月27日 | タブロイド判四ページに諸商品気配を掲載し付録として隔日(火、木、土)に添付することとなる。 | ||
7月31日 | 大火で大阪出張所類焼、東区横堀一ノ一五に仮出張所を置く。 | ||
8月27日 | 囲碁欄を新設。詰将棋新題を出して読者から解答を懸賞募集。 | ||
9月21日 | 広告「よろづ案内」欄を新設、六号活字二十一字詰め三行以内とし料金は種目により一回十五銭、二十銭、二十五銭、四十銭、五十銭の五段階に分ける。 | ||
10月8日 | 「中外詩壇」欄を新設。 | ||
10月31日 | 「中外歌壇」欄を設け常磐会の選歌を載せる。 |