※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月13日 | 米国セントルイスの世界大博覧会に赤尾廉記者を特派、その第一信を掲載。 | ||
4月19日 | 「日露交戦国際公法と商事」刊行、二百六十ページ。 | ||
6月8日 | 合資会社商況社解散、主幹野崎広太の個人経営となる、社名は「商況社」を使用。 | ||
11月11日 | 第一次経済財政統計表、日露役戦時財政、中外調査便覧の三部を合本出版。 | ||
12月6日 | 「満州事情、付蒙古、青海、伊犁、西蔵」刊行。 | ||
12月31日 | 大阪出張員詰所を北区堂島浜通一ノ一二九に移転し大阪出張所と改称。 | ||
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊二十ページ。 | ||
4月2日 | 「ここかしこ」欄を設け社会記事を収録、見出しにふりがなをつける。 | ||
4月13日 | 「川柳」欄を設け時折載せる。 | ||
4月25日 | 小説に挿し絵を初めて掲載。 | ||
5月26日 | 「中外俳壇」を設け俳句を復活、選者西山花葉。 | ||
8月10日 | 本紙に連載した「海国史談」(足立栗園)刊行。 | ||
8月29日 | 樺太の炭業視察に記者を特派、第一信を掲載。 | ||
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 将棋欄をつくる。 | ||
2月21日 | 最初の二ページ見開き広告を掲載。 | ||
3月23日 | 茶会記事初登場。 | ||
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊二十八ページ。 | ||
1月25日 | 「中外叢談」欄をつくる。 | ||
5月3日 | 中絶していた中外俳壇を復活、内藤鳴雪選者となる。 | ||
6月19日 | 社会面に投書欄を設ける。 |