※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
7月24日 | 京城特派員の記事で三日間発行停止を命ぜらる。 | ||
8月2日 | 日清戦況に関し以後号外をたびたび発行。 | ||
8月14日 | 京城釜山、馬関に特派員を派遣してある旨社告。 | ||
8月17日 | 上海に特派員を派遣。 | ||
9月13日 | 大本営所在地広島に牛山良介記者を特派、馬関、門司、呉、佐世保、長崎等の通信員を統率して記事を編集せしめる。 | ||
9月23日 | 第二軍従軍記者として永原鉄三郎を派遣。 | ||
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊十二ページ。 | ||
1月15日 | 三田村玄竜(鳶魚)を第一師団司令部付き従軍記者として戦地に派遣。 | ||
3月31日 | 第四回内国勧業博の実況視察のため野崎広太記者を京都に特派。 | ||
4月17日 | 占領地および朝鮮の商業視察のため臼田弼四郎記者を特派。 | ||
7月1日 | 広告料金改定、一行十五銭に引き上げ、二日以上十三銭、七日以上十二銭。 | ||
8月12日 | 日本橋区北島町一ノ三六(現在の日本橋茅場町)に新築の本社および工場落成して移転、十三日から新工場で印刷発行。 | ||
8月25日 | 仏国に注文したマリノニ輪転機一台据え付けを終わり使用開始。同時に紙面を刷新し従来の本紙半切四ページの付録を廃止して商況物価を本紙に繰り入れ二ページにわたって掲載、購読料を一部売り一銭五厘とする。 | ||
10月4日 | 元主幹河野呈甫死去。 | ||
11月5日 | 「俳壇」を新設。 | ||
12月1日 | 木曾、長良の二大鉄橋ならびに伊勢大廟、名古屋城等の銅版写真掲載の別刷付録を添付。 | ||
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊十六ページ。 | ||
1月16日 | 「俳壇」を「詞壇」と改め和歌、俳句を載せる。 | ||
3月9日 | 露清秘密条約の全文を号外で発行。 | ||
5月10日 | 大向生(杉贋阿弥)の劇評初めて登場。 |