※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 日華事変で号外をひんぴんと発行、8月中8回に達す | ||
9月1日 | 新活字を採用、従来の13段制を14段制とし紙面を刷新、従来の約2ページ分の内容増加となる | ||
9月6日 | 大阪中外商業新報も14段制実施 | ||
9月13日 | 日曜夕刊を復活発行 | ||
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
1月7日 | 中外物価指数を掲載 | ||
4月1日 | 東京、名古屋、大阪間専用電話を返還、予約電話にかえる | ||
5月1日 | 千葉版を起こす | ||
5月10日 | 北京支局開設 | ||
8月7日 | 各社申し合わせ日曜夕刊廃止 | ||
12月28日 | 本紙創刊者益田孝死去 | ||
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊12ページ。1月から減ページ実施、朝夕刊同時配達区域は朝刊だけ14ページとし、別配達区域は日曜日付けを2ページ減とする。 | ||
2月15日 | 用紙不足のため「中外財界」2月号を最後として休刊、豆新聞「学生中外」も姿を消す | ||
4月1日 | 上海支局開設 | ||
8月1日 | 用紙不足のため減ページ断行、朝刊10ページ、夕刊4ページとし、朝夕刊同時配達区域は夕刊を廃して朝刊12ページとする、なお第1面は従来全面広告を掲載したが記事面に変更 この年7月で「社報」も中断 | ||
11月23日 | 各社申し合わせ祭日の夕刊を休刊とする | ||
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月12日 | 新活字を採用し従来の14段制を15段制とする | ||
4月2日 | 中外物価指数の掲載休止 | ||
4月16日 | ニューヨーク、ベルリンに通信員をおく | ||
4月22日 | 「週間国際情勢」欄をつくる | ||
7月1日 | 大阪中外商業新報も15段制を実施 |