※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月11日 | 朝刊10ページを12ページに増し朝夕刊16ページ建てとし、紙面を刷新して、工業欄を新設、市場欄、家庭欄、競馬欄を拡充 | ||
11月22日 | 中外診療所開設、所長は村田保常氏 | ||
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月7日 | 「中外週評」欄新設、毎月曜日朝刊に掲載 | ||
1月26日 | 家庭面に「私の悩み」欄をつくる、回答担当者今井邦子 | ||
6月27日 | 京城に通信員を設置 | ||
7月7日 | 各社協定により日曜夕刊廃止となる | ||
7月 | 豆新聞「学生中外」(4ページ)を隔週発行 | ||
11月7日 | 田中本社社長を創立委員長とし社団法人同盟通信社設立認可、11年1月1日から発足する | ||
12月12日 | 英文「日満産業大観」刊行 | ||
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月20日 | 防空演習に社内特設防護団を組織 | ||
7月22日 | ポール・アインチヒ博士、国際経済論説を特別寄稿(毎月数回) | ||
7月24日 | 第50回定時株主総会、佐藤三郎取締役を退任し、阪田国三郎新任 | ||
8月7日 | 横浜中外診療所開設、20年の戦災まで継続 | ||
10月12日 | 月曜特集「会社批判」(2ページ)この日から掲載 | ||
10月18日 | 創刊60周年記念「日本経済60年史」刊行、菊判505ページ | ||
12月2日 | 現代邦画結集展(3日間)日本橋・高島屋で開催 | ||
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月23日 | 第51回定時株主総会、取締役1名増員、取締役明渡泰次郎辞任、佐藤新衛、小汀利得取締役に選任 | ||
4月1日 | 埼玉版を起こす | ||
7月1日 | 購読料引き上げ、1ヵ月1円20銭となる | ||
7月24日 | 第52回定時株主総会、取締役5名以内を6名以内、監査役1名を2名以内と改め、任期を取締役3年、監査役2年とする、大谷浩新たに取締役に選任 |