(株)日本経済新聞社『日本経済新聞社110年史』(1986.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
7月23日 朝刊の商店、家庭、将棋の各欄を夕刊に移す
7月27日 さらに減ページ実施、朝刊8ページ(2ページ減)とする
9月18日 9・18停止 により新聞購読料金、広告掲載料金クギ付けとなる
10月1日 三井所有の本社株式を全部本社役員、従業員及び特別関係者で保有することに決定、第1回分譲株式を引き取って社員に分譲
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
5月28日 社団法人日本新聞連盟設立、田中本社社長理事長に就任
6月9日 さらに減ページを実施し朝刊平日6ページ、月曜日付け4ページとする
6月30日 三井から本社株式残り全部を引き取り、社内株主のみによる自主経営となる
8月1日 三井から贈与された株式2、000株を基本財産に社員の福祉機関として中外福祉会を設立
8月5日 用紙制限強化のため日曜日付け朝刊を4ページ、朝夕刊同時配達区域は6ページとする
9月14日 夕刊を週1、2回2ページに減ずる
9月16日 臨時株主総会、定款を改正して株式の譲渡は取締役会の承認を要することと定める
9月22日 用紙不足のため春場所から相撲星取表廃止
9月28日 夕刊4ページを2ページに減ずる
12月1日 新聞共同販売制を実施
12月8日 天気予報紙上から消える
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
1月1日 初刊12ページ。ハワイ奇襲写真(4ページ)特集
2月1日 広告料金の算定基準1センチ1段制となる
2月6日 田中社長日本新聞会会長に就任のため辞任、常務取締役村上幸平社長に就任、小汀利得主筆に、小田嶋定吉編集局長となる
2月23日 「中外週報」欄この日限り廃止
2月27日 臨時株主総会、小田嶋定吉取締役に就任
PAGE TOP