※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月25日 | 養鶏欄を毎月曜日特集 | ||
6月1日 | 購読料改定、従来の1円20銭を1円10銭に引き下げ、特に「中外財界」不要の向きは1円とする | ||
6月10日 | 増ページ断行、朝刊を10ページ(2ページ増)とし朝夕刊14ページ建てとする、同時に紙面を改善しスポーツ欄、ラジオ欄を新設、家庭欄、副業欄(養鶏欄改称)を毎日掲載とする | ||
6月30日 | 福島新聞を譲渡、経営を打ち切る | ||
9月11日 | 満州国問題重大化し、政治部長を現地に特派 | ||
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月27日 | 満蒙の経済事情視察のため経済部長小汀利得記者を満州に特派 | ||
2月29日 | 神奈川版を起こす | ||
4月1日 | 「中外案内」欄広告料金引き上げ | ||
7月26日 | 佐藤三郎主筆を辞任し簗田社長兼務 | ||
7月30日 | ロサンゼルスのオリンピック大会に記者を特派 | ||
12月19日 | 満州問題に関し有力新聞通信12社共同宣言 | ||
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
5月26日 | 臨時株主総会、簗田〓[金+久]次郎社長退任し田中都吉社長に新任 | ||
6月11日 | ワシントンの世界経済会議報道のため在米の簗田銓次記者を特派。このころより記者の海外特派ふえる | ||
8月1日 | 本社の町名番地変更、日本橋区茅場町2―16となる | ||
9月21日 | 社内報「中外商業新報社報」第1号出る、毎月1回発行(現在の社報と同型、4ページ)、この社報は昭和14年7月、63号を最後として用紙不足のため休刊となる | ||
10月4日 | 夕刊に囲碁欄を設ける | ||
12月3日 | 従来日曜日に休刊した夕刊を無休刊とする | ||
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | 第45回定時株主総会、取締役に明渡泰次郎を選任 | ||
4月7日 | 臨時株主総会、資本金200万円を135万円に減じて不良資産を整理し、更に200万円に増資 | ||
4月18日 | 経済調査局を廃止し編集局に経済資料部を置く |