(株)日本経済新聞社『日本経済新聞社120年史』(1996.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
9月16日 「英文商況」欄を新設、外国人との取引の便宜をはかる(明治37年11月10日廃止)
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。日本女子大学校開校・会計監督(後に校長)。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 東京区裁管内の登記公告掲載紙として指定を受ける(以後4年間、本紙独占指定となる)。初めて講談を掲載
5月15日 大相撲5月場所はじまり、この場所から相撲記事を大きく扱う
10月1日 「中外調査部」欄を新設、経済関係法規の紹介、解説にあてる
12月24日 「中外倶楽部」欄を設け、劇評、相撲、趣味、娯楽記事、随筆など収録
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
5月1日 蚕糸記事を充実
9月26日 本社出資者今村清之助死去
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
1月14日 「中外日記」欄を設け、時事評論を掲載
4月1日 投書欄「目安箱」を設ける(8月廃止)
5月1日 広告料金改定(1行40銭に引き上げ)
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 紙面刷新、1行20字詰め、1ページ6段とする
2月8日 日露関係急を告げ、この日から連日号外を発行
4月13日 米国セントルイスの世界大博覧会に記者派遣、第1信を掲載
4月19日 「日露交戦国際公法と商事」刊行、260ページ
6月8日 合資会社商況社を解散、商況社の社名はそのまま野崎広太主幹の個人経営となる
12月31日 大阪出張員詰所を堂島浜通1-129に移し大阪出張所と改称
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
4月2日 「ここかしこ」欄を設け社会記事を収録
4月13日 「川柳」欄を設け時折載せる
5月26日 「中外俳壇」を設けて俳句を復活
8月10日 本紙連載の「海国史談」を刊行
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