※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月16日 | 「英文商況」欄を新設、外国人との取引の便宜をはかる(明治37年11月10日廃止) | ||
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 東京区裁管内の登記公告掲載紙として指定を受ける(以後4年間、本紙独占指定となる)。初めて講談を掲載 | ||
5月15日 | 大相撲5月場所はじまり、この場所から相撲記事を大きく扱う | ||
10月1日 | 「中外調査部」欄を新設、経済関係法規の紹介、解説にあてる | ||
12月24日 | 「中外倶楽部」欄を設け、劇評、相撲、趣味、娯楽記事、随筆など収録 | ||
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 蚕糸記事を充実 | ||
9月26日 | 本社出資者今村清之助死去 | ||
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月14日 | 「中外日記」欄を設け、時事評論を掲載 | ||
4月1日 | 投書欄「目安箱」を設ける(8月廃止) | ||
5月1日 | 広告料金改定(1行40銭に引き上げ) | ||
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 紙面刷新、1行20字詰め、1ページ6段とする | ||
2月8日 | 日露関係急を告げ、この日から連日号外を発行 | ||
4月13日 | 米国セントルイスの世界大博覧会に記者派遣、第1信を掲載 | ||
4月19日 | 「日露交戦国際公法と商事」刊行、260ページ | ||
6月8日 | 合資会社商況社を解散、商況社の社名はそのまま野崎広太主幹の個人経営となる | ||
12月31日 | 大阪出張員詰所を堂島浜通1-129に移し大阪出張所と改称 | ||
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月2日 | 「ここかしこ」欄を設け社会記事を収録 | ||
4月13日 | 「川柳」欄を設け時折載せる | ||
5月26日 | 「中外俳壇」を設けて俳句を復活 | ||
8月10日 | 本紙連載の「海国史談」を刊行 |