日本電報通信社『電通社史』(1938.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
5月7日 福岡日日新聞社副社長猪俣為治氏逝去
7月21日 第一回電通富士登山行事開始、此年よりして毎年富士登山行事を行ふ事とす
7月25日 朝日新聞訪欧飛行機代々木を出発す
7月 磐城無電局開設、電通は直に之を利用して日日多量のニユースを各国に放送し益々その機能を発揮す
8月2日 今上天皇陛下皇太子殿下にておはし樺太行啓仰出さる、本社活動写真部ニユース班東京御発及樺太御上陸の御模様を拝写し御上陸当夜豊原及大泊の二ヶ所にて謹写上映し島民をして感激せしむ我国活動写真のニユース即夜公開は之を以て嚆矢とする、十七日還啓あらせたまふ。
8月2日 加藤高明内閣は七月三十一日総辞職をしたが、此日同子に対し組閣の大命再降下
8月7日 片岡弓八氏ボートサイド附近にて金貨百万円引揚に成功の電報を合同通信社より我社に送り来り一般社会に驚異の衝動を与ふ、此時此電報を日本に速報したるは右合同電報のみ
8月30日 新聞総覧第十七版発行
10月26日 北京特別関税会議北京にて開かれ電通より上田碩三氏特派
11月11日 電通創立二十五周年記念祝賀会を帝国劇場に挙行、全国新聞社二十五年勤続者表彰会、欧米新聞界研究員派遣等の事業を行ふ
12月 電通札幌支局を北海タイムス内に設置
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月7日 東奥日報社社長武田邦雄氏逝去
1月30日 岩槻内閣成立
1月 電通北京上海天津各支局に写真部開設、日本及支那新聞に支那各地における写真通信を開始す支那における写真通信の嚆矢なり
4月7日 渡辺霞亭氏逝去
4月9日 渋川玄耳氏逝去
5月5日 英国に石炭ストライキ勃発之を導火線として全英大ストライキ発生し全英の産業を壊滅せんとした、右に対するUPの電報大成功を奏し殆んど独占的に各新聞紙上に掲載された
6月1日 伊勢新聞社社長松本恒之助氏逝去従五位勲三等を賜ふ
6月7日 新聞総覧第十八版発行
6月10日 電通創立二十五周年記念海外新聞研究員左の如く決定す 佐野周(報知)原義秀(福日)仁保俊雄(国民)片山誠二(神戸)鈴木東民、各氏 右研究員は七月十五日より八月七日までに夫れ夫れ出発
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