※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 電通天津漢口両支局設置 | ||
7月26日 | 電通紐育支局開設 | ||
9月3日 | 御外遊あらせたまひし東宮殿下還啓あらせたまふ | ||
9月27日 | 時事新報社々屋全焼 | ||
9月30日 | 電通福岡支局を一旦廃止す | ||
10月2日 | 華盛屯会議特派の電通上田取締役横浜出帆コレア丸にて渡米 | ||
11月4日 | 原首相東京駅頭にて中岡良一のため刺殺さる | ||
11月12日 | 華盛屯会議開かる、電通上田碩三、水谷渉三両氏を特派ヒユーズの提案せる原案我社に最も早く報せられ忽ち号外となる、立会中の株暴落す | ||
11月13日 | 高橋是清内閣成立 | ||
11月21日 | 山陽新聞社社長野崎又六氏逝去 | ||
11月22日 | 光永社長歓迎会を清浦伯等の主催により帝国ホテルにて開く、社長同夜流行性感冒のため日本赤十字病院に入院加療さる、翌年一月二十五日退院、退院後暫らく静岡県下静浦に静養、光永社長の我社黎明新年宴会に欠席せるは唯此一回のみ | ||
11月25日 | 皇太子殿下を摂政に任じたまふ大紹渙発さる | ||
12月8日 | 外遊中の光永社長クライスト号にて神戸上陸帰朝さる | ||
12月11日 | 北国新聞社前社長林政通氏逝去 | ||
12月 | 電通同報電話開通す、日本における新聞通信社同報電話の開祖である | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 電通内に写真課を設置し写真ニユースの通信開始 | ||
4月 | 平和大博覧会上野に開かる | ||
5月1日 | 電通倫敦支局設置 | ||
5月21日 | 華府会議出張中の電通上田取締役欧洲に渡り通信上の要務を了えて神戸上陸帰朝 | ||
6月1日 | 電通広東支局開設 |