日本電報通信社『電通社史』(1938.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
9月26日 下野新聞社社長勲四等戸叶薫雄氏逝去
10月1日 関東地方大暴風雨東京の新聞用紙貯蔵庫浸水用紙の供給不足を告ぐ依つて東京新聞社協定の上三日間減頁一日の頁数を四頁とす
- 八ポイント半活字使用され十段制実施
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
4月15日 四月十五、六、七三日間 第六回日本新聞協会大会を帝国ホテルに開く
5月1日 電通京都支局開設
8月2日 寺内々閣対露出兵宣言、直に西比利亜に向け出兵さる、電通は浦塩方面に記者青木精一氏を、満洲里方面に同中根栄氏を特派従軍せしむ
8月30日 新聞総覧第十版発行
9月29日 原内閣成立
11月11日 欧洲大戦終熄休戦成立す、我電通は此日を以て我社周年記念日とする例を作る
12月10日 巴里講和会談に我社上田碩三氏を特派し此日出発
12月20日 同上監査役曽我祐邦氏出発
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
1月18日 ヴエルサイユ会議開かる、我邦より国際会議に特派員を派遣したのは此会議を以て最初とす、電通より子爵曽我祐邦、上田碩三両氏特派されたる事前項記載の如し
5月5日 五月五、六両日 第七回日本新聞協会大会を帝国ホテルに開会
5月30日 新聞総覧第十一版発行
6月28日 本日午後三時欧洲大戦講和条約調印
6月 九州日日新聞社社主宇野七郎氏逝去
7月16日 日本新聞協会会長伯爵板垣退助氏逝去
7月21日 巴里会議出席の電通曽我監査役帰朝
8月1日 活版職工増給問題に端を発し東京市新聞工場ストライキを為し各新聞休刊三日に亘つた
9月2日 斎藤挑戦総督京城に着任するや鮮人兇漢爆弾を投じ多数の負傷者を出す、我京城支局の電報最も迅速且つ詳細を極め、我社京城電報の真価を発揮す
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