日本電報通信社『電通社史』(1938.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月4日 京都日出新聞社社長雨森菊太郎氏逝去従六位を賜ふ
8月23日 電通社内に私設電信機設置内外電報の発受に便す
9月1日 電通大連、佐世保、釜山、大分各支局設置
10月1日 長崎、敦賀、上海各電通支局設立上海電報の速達を図るため電通上海支局より打電のものは凡て長崎受信とし長崎より電話を以て東部地方一帯に送信の事とした
10月3日 九州日日新聞社全焼
10月6日 万朝報社社長黒岩周六氏逝去
11月1日 電通神戸支局設置
12月1日 電通台湾支局設置「日本電報」の発行権を台湾総督府より得此日初号発行
12月3日 光永社長西比利亜視察のため敦賀出帆浦塩に向はる、二十一門司帰着
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月2日 光永社長門司出発青島に向はる、南北支那を視察し三月六日長崎に帰着さる、此行に於て東亜新聞大会開催の準備工作を為す
2月18日 朝鮮京城にて発行の時事新聞社社長閔元植氏兇漢のために東京駅にて刺殺さる
3月3日 東宮殿下御外遊のため御出発あらせらる
4月7日 電通創立二十周年記念祝賀会を帝国劇場に開く此記念祝賀会を機とし社員一同より光永社長に新海竹太郎氏作の社長胸像型寿像二基を献呈し中一基を電通内に永久安置する事とす、大正十二年の大震大火遭難の時も社員の手にて逸早く搬出避難され無事なるを得たり
4月8日 四月八日より三日間 第九回日本新聞協会大会を帝国ホテルに開く同時に東亜新聞大会開会支那側四十余名日本側三百余名列席す
4月10日 新聞総覧第十三版発行
4月15日 電通名古屋支局十五周年記念号「日本電報」発行同時に記念祝賀会を開く
5月 電通敦賀支局廃止
5月 上海に開設されたる極東オリムピツク大会の電報を上海電通支局より長崎へ陸揚し長崎同支局より電話を利用して東京方面へ送信するもの受信時間非常に短縮され各社より賞讃を博す
6月9日 光永社長欧米外遊のため横浜解纜米国に向ふ、米国より欧洲各国を訪問具さに新聞通信界の視察を為し十二月九日帰朝
6月30日 電通佐世保支局廃止長崎支局に合併神戸、京都支局廃止
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