(株)読売新聞社『読売新聞発展史』(1987.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
11月24日 子安峻、本紙奥付に初めて社長として署名 本社
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
1月4日 社説の前身「読売雑譚」欄を創設 本社
1月25日 「朝日」(大阪)創刊 一般マスコミ
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
5月5日 内務省に新聞検閲掛をおく 一般マスコミ
11月17日 饗庭篁村、雑譚に執筆始める 本社
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
1月4日 紙幅拡張、題号を初めて横書きに改める 本社
1月4日 「朝野」社長成島柳北、本紙雑譚執筆者となる 本社
7月9日 東京9紙、初の連合値上げ広告 一般マスコミ
10月12日 明治23年国会開設の詔書発布 一般マスコミ
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
3月1日 「時事新報」創刊 一般マスコミ
6月1日 ポンチ欄「博笑戯墨」(たはれごと)創設(16.1.18廃止)//本紙時事漫画のはじめ 本社
6月27日 日本銀行条例制定 一般マスコミ
10月21日 東京専門学校(35.9.2早稲田大学と改称)開校式 一般マスコミ
10月30日 子安峻、困窮士族救済のため、大阪に金巾製造所設立を出願、許可 本社
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
3月20日 この日から題号横に「駅逓局認可」と掲げる 本社
4月16日 新聞紙条例改正(言論取り締まりを強化) 一般マスコミ
4月18日 新聞紙条例改正対策として、奥付に“身代り”編集長記載 本社
7月2日 官報第1号発行 一般マスコミ
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
1月4日 紙幅を拡張。小野梓を雑譚執筆者に招く 本社
1月4日 記事に初めて標題(小見出し)をつける 本社
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