※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月12日 | 『横浜新聞』が創刊される(わが国最初の両面印刷の日刊紙、のちの『毎日新聞』)。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 英領事、この年の横浜商況報告においてShokaijo(商会所)の活動を報ずる。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 横浜商人、「商会規則」を制定し、六月その木版刷りを頒布する。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
9月12日 | 横浜・新橋間の鉄道の開業式が行われる。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 横浜生糸改会社創立(弁天通六丁目)。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月4日 | 第二国立銀行創立。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
11月 | 蚕種紙四四万余が焼却される。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 「共有物事件」の発端となるガス局係争がおこる。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
10月 | 横浜商人、生糸検査規則を施行する。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
- | この年、横浜の有志商人、「横浜四商会社事務章程」を定む。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月10日 | 横浜洋銀取引所が開業式を行う(九月横浜取引所と改める)。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
9月15日 | 第一回製茶共進会が開催される。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
12月23日 | 原善三郎・小野光景・茂木惣兵衛・吉田幸兵衛ら町会所に集まり、発起人となって横浜商法会議所の設立を決定する。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月17日 | 横浜商法会議所の設立を県へ出願する。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
2月28日 | 横浜正金銀行開業。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
4月13日 | 商法会議所設立の出願が認可される。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
4月26日 | 商法会議所役員ならびに委員の選挙会が開かれ、会頭に原善三郎、副会頭に小野光景を選任する。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
5月25日 | 品川勧農局長・鈴木商務局長等臨席の上、本町一丁目五番地の町会所において横浜商法会議所の開所式が挙行される。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月26日 | 横浜港波止場建築の建議を決定する。 | 横浜商工会議所百年史年表 | |
5月1日 | 生糸せり売場の設立を決定する。 | 横浜商工会議所百年史年表 |