片倉工業(株)『片倉工業株式会社三十年誌』(1951.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
7月1日 片倉越後製糸株式会社(資本金百万円)の創立に参加した。 片倉製糸紡績株式会社
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月12日 大宮製糸所に御法川式多条繰糸機(二十条)二百五十六台を設置した。 片倉製糸紡績株式会社
3月25日 松江片倉製糸株式会社(資本金二百万円)の創立に参加した。 片倉製糸紡績株式会社
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
1月12日 片倉磐城製糸株式会社(資本金二百万円)の創立に参加した。 片倉製糸紡績株式会社
4月12日 原料繭検査格付法を発表し同年新繭より実施することに決定した。 片倉製糸紡績株式会社
10月5日 岩手県是製糸株式会社(資本金三百万円)の創立に参加した。 片倉製糸紡績株式会社
11月 多摩製糸株式会社(資本金五十万円)の創立に参加した。 片倉製糸紡績株式会社
12月5日 片倉共栄製糸株式会社(資本金二十五万円)の創立に参加した。 片倉製糸紡績株式会社
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
6月16日 スマトラ島ペンクウレン州レヂヤン区チヨロツプに面積二十一バウ四百六十六ルードの世襲借地権を買い入れた。 片倉製糸紡績株式会社
7月 普及団試験部を独立させて蚕業試験所を新設した。 片倉製糸紡績株式会社
7月 東京府南多摩郡川口村に栽桑試験所を新設した。 片倉製糸紡績株式会社
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
3月10日 三月一日地名変更により本社は東京市京橋区京橋三丁目二番地四と登記した。 片倉製糸紡績株式会社
5月28日 御法川式繰糸機製生糸は新糸以降全部横浜出張所宛出荷のことに統制した。 片倉製糸紡績株式会社
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
5月18日 本社職制の改正を行い経理、工務、原料の三部制とした。 片倉製糸紡績株式会社
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
8月26日 武州製糸株式会社合併による資本金八十万円(株式一万六千株)増資を登記した。(資本金五千三百五十五万円) 片倉製糸紡績株式会社
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
1月8日 取締役会長二代片倉兼太郎逝去す。 片倉製糸紡績株式会社
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
3月28日 蚕糸祭制定につき全国各事業所は式典を挙行した。 片倉製糸紡績株式会社
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
5月1日 本社職制を経理、原料、工務、販売、考査の五部制に改正した。 片倉製糸紡績株式会社
9月8日 故二代片倉兼太郎の遺徳を記念して高徳会を創設した。 片倉製糸紡績株式会社
12月22日 米国絹業界の巨商ポリーノジエルリの功績を永遠に記念せんがため同氏の胸像を大宮製糸所構内に建立した。 片倉製糸紡績株式会社
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