※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 甲府撚糸工場を開設した(撚糸機七十五台、一万四千百十二錘) | 片倉製糸紡績株式会社 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
9月30日 | 日東製糸株式会社、備作製糸株式会社並に片倉越後製糸株式会壮を合併して資本金四百七十万円(株式九万四千株)増加の登記をした。(資本金五千八百二十五万円) | 片倉製糸紡績株式会社 | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月15日 | 上海出張所を新設し支那生糸の輸出業務を開始した。 | 片倉製糸紡績株式会社 | |
9月30日 | 片倉佐越製糸株式会社、株式会社富岡製糸所の合併により資本金八十五万円(株式一万七千株)増加の法定手続を完了した。(資本金五千九百十万円) | 片倉製糸紡績株式会社 | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 試験所に辻村式自動繰糸機一台を据え付けた。 | 片倉製糸紡績株式会社 | |
3月28日 | 会社創立満二十週年記念祝賀会を挙行した。 | 片倉製糸紡績株式会社 | |
4月1日 | 片倉製糸紡績株式会社福利施設として親和会及び社友会を創設した。 | 片倉製糸紡績株式会社 | |
6月1日 | 片倉職員健康保険組合を設立した。 | 片倉製糸紡績株式会社 | |
8月15日 | 全国製糸業組合総会決議により運転釜数の一割五分操短を実施した。 | 片倉製糸紡績株式会社 | |
11月20日 | 会社社旗及び各所に授与されるべき社旗の入魂式を挙行した。 | 片倉製糸紡績株式会社 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月8日 | 取締役会において事業所整理案実施に関する件を社長、及び常務取締役に一任した。 | 二十年誌以降 | |
2月20日 | 薩摩製糸株式会社、長崎製糸株式会社、片倉磐城製糸株式会社、松江片倉製糸株式会社、多摩製糸株式会社、岩手県是製糸株式会社の七会社の合併登記を完了した。 | 二十年誌以降 | |
2月27日 | 蚕糸業統制法議会通過に伴う全国製糸業組合連合会の釜数整理決議に即応し、尾沢、姫路、高知佐川、宇佐、越後第二、岡山、末吉七工場閉鎖の件を決定した。 | 二十年誌以降 | |
2月28日 | 取締役会において川岸精練株式会社の増資株式の一部引受、密陽蚕種製造所譲渡の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
3月12日 | 取締役会において越後第二工場の一部をマルカタ製糸所に売却の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
4月8日 | 取締役会において日本蚕糸統制株式会社株式六万五千五百七十株引受の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
6月3日 | 小口製糸所(徳島県徳島市島田町字大東一)の株式を買収した。(設備、小岩井式多条繰糸機百台、普通繰糸機百八十釜) | 二十年誌以降 | |
7月8日 | 取締役会において辻村式自動繰糸機大量試験の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
7月28日 | 取締役会において絹短繊維製造に関する特許及び実用新案権公開の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
9月18日 | 取締役会において研究所のシルクブロック部の事業を拡張するため、絹化学工場新設の件を議決した。 | 二十年誌以降 |