片倉工業(株)『片倉工業株式会社三十年誌』(1951.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
6月19日 取締役会において松井機器株式会社の機械設備買収の件を議決した。 二十年誌以降
7月1日 東京都制実施につき本社所在地は東京都京橋区三丁目二番地四と変更された。 二十年誌以降
7月3日 陸軍被服本廠より軍用品保管のため、平野、都城、作州、千厩の四工場借用方申入れがあつたが、取締役会において都城、作州の二工場を賃貸することに議決した。 二十年誌以降
7月13日 取締役会において交易公団出資(八千六百四十口、八十六万四千円)の件を議決した。 二十年誌以降
8月1日 事業の転換に件い大宮試験工場を大宮航機製作所、多摩工場を多摩航機製作所、鳥栖工場を鳥栖航機製作所と改称することに決定した。 二十年誌以降
8月13日 大宮航機製作所は立川飛行機株式会社の協力工場として飛行機の機体及び部品の製作を開始した。 二十年誌以降
9月15日 鳥栖航機製作所は三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所の協力工場として飛行機の油槽及び同部品の製作を開始した。 二十年誌以降
9月24日 工場長会議を開催した。//会議の席上発明考案奨励規程により表彰式を挙行し、社長より左の通り表彰状並に賞品を授与した。//優等//〓[○+井]式A型・B型繰糸機(松本工場) 故今井真平 井上保雄 青木貞一//他六七件//蚕業試験所 農学博士 小針喜三郎 蚕品種の研究に従事し、優良品種の育成と品種改良に関する有益なる基礎的研究をなし、社業に裨益する所大なり。//蚕業試験所 福田宗一 蚕脱皮及び変態のホルモン機構に関する研究をなし、蚕品種の育成並に育蚕に貢献して社業に裨益する所大なり。 二十年誌以降
9月26日 蓼科高原に霞山道場を開場した。 二十年誌以降
9月26日 大邱製鉄所内に大邱機織部を設置した。 二十年誌以降
10月20日 福岡工場外二十八工場、一代交配蚕種普及団外八蚕種製造所、蚕業試験所、原料繭関係出張所十二、計五十一ヵ所を日本蚕糸製造株式会社に賃貸した。(十九年五月二十五日迄に終了) 二十年誌以降
11月1日 社名を片倉工業株式会社と改称した。 二十年誌以降
12月24日 わが社全額出資(資本金参百万円)の下に満洲柞繭興業株式会社を設立した。//代表取締役 中沢正英 二十年誌以降
12月26日 研究所におけるテグス製造を工業化するため海老名テグス工場を創設し、事業を開始した。 二十年誌以降
12月29日 鳥栖航機製作所は陸軍航空本部の監督工場となつた。 二十年誌以降
12月 熊谷工場は熊谷電機製作所と改称し、軍需工場に転換、日本電気兵器株式会社の協力工場として1/50小型電動機並に25W発電機の製作を開始した。 二十年誌以降
12月 研究所に機械工場を完成し、三菱重工業株式会社名古屋第五製作所の協力工場として航空機部品の製作を開始した。 二十年誌以降
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月8日 取締役会において葉山木造船株式会社に出資経営の件を議決した。 二十年誌以降
1月10日 多摩航機製作所は陸軍航空廠の協力工場として航空機部品の製作を開始した。 二十年誌以降
2月22日 蚕業研究所社員福田宗一は東京帝国大学より理学博士の学位を受けた。 二十年誌以降
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