※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月27日 | 取締役会において朝鮮蚕糸株式会社株式引受の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
10月3日 | 工場長会議を開催した。(~4日) | 二十年誌以降 | |
10月23日 | 取締役会において蚕糸利用開発株式会社株式五千株引受の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
11月13日 | 源池分工場の設備一切を中信短繊維工業株式会社に賃貸、同社の経営により繰繭短繊維の製造を開始した。 | 二十年誌以降 | |
12月8日 | 取締役会において全州製糸所に普通繰糸機六十釜増設の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
12月22日 | 小口製糸所を四国繭短繊維有限会社に売却した。 | 二十年誌以降 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | 工場長会議を開催した。 | 二十年誌以降 | |
2月2日 | 「片倉製糸紡績株式会社二十年誌」及び「創立二十年記念写真帳」出版完了につき、編纂者中川良輔、大野留次郎、瀬尾貞夫、堀禄助は社長より記念品を授与された。 | 二十年誌以降 | |
2月7日 | 丸庄製糸株式会社(本庄工場・豊岡工場)を買収した。(設備、多条機八十八台、座繰機三百五十二釜) | 二十年誌以降 | |
2月19日 | 府是製糸株式会社(現、青梅製糸所)を買収した。(設備、織田式十条繰糸機二百四十六台) | 二十年誌以降 | |
2月28日 | 藤本製糸所(徳島県阿波郡土成村)九釜、田村製糸所(徳島市矢三町)七釜、佐藤製糸所(徳島市矢三町)八釜、を買収した。 | 二十年誌以降 | |
2月 | 鳥栖工場は短繊維の製造を開始した。(設備台数 七十四) | 二十年誌以降 | |
3月5日 | 仙南工場は短繊維の製造を開始した。(設備台数 百) | 二十年誌以降 | |
3月23日 | 取締役会において丸興製糸株式会社新株式引受の件を議決した。 | 二十年誌以降 | |
3月 | 郡山工場は短繊維の製造を開始した。(設備台数 百三十二) | 二十年誌以降 | |
4月1日 | 丸庄製糸株式会社の全株式を買収し、これが委任経営を行うこととなつた。 | 二十年誌以降 | |
5月 | 石原製糸所は短繊維の製造を開始した。(設備台数 七十五) | 二十年誌以降 | |
6月13日 | 今後製糸所は地方名を入れて何々工場と呼称し、特殊工場は地方名を附せず製品名を入れて何々工場と呼称することに決定した。 | 二十年誌以降 | |
8月20日 | 社則を改訂実施した。 | 二十年誌以降 | |
8月20日 | 紐育出張所長花岡真澄は交換船浅間丸で帰国した。 | 二十年誌以降 |