※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 健康保険法施行 | 業界・一般事項 | |
8月24日 | 堅田人絹工場を設立 | [当社事項] | |
9月 | 教育所を山田工場内に移設 | [当社事項] | |
12月21日 | 東洋紡績健康保険組合を創設 | [当社事項] | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月12日 | 堅田人絹工場、操業開始 | [当社事項] | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月10日 | 堅田人絹工場を分離し昭和レーヨン(株)を創立、同社堅田工場となる | [当社事項] | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月12日 | 工場長会議で、工場法施行をまたず全工場深夜業廃止を決議 | [当社事項] | |
4月1日 | 一宮工場を設立 | [当社事項] | |
4月 | 附属看護婦学校を山田工場内に移設 | [当社事項] | |
5月27日 | 上海工場を分離し、裕豊紡績(株)を創立 | [当社事項] | |
7月1日 | 改正工場法施行、婦人・少年の深夜業撤廃実施 | 業界・一般事項 | |
10月24日 | 世界恐慌はじまる | 業界・一般事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 金輸出解禁実施 | 業界・一般事項 | |
9月5日 | (株)昭和工作所を創立 | [当社事項] | |
- | 昭和レーヨン(株)化学研究所を設立 | [当社事項] | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 堅田工場内に東洋紡績化学研究所を設立 | [当社事項] | |
3月10日 | 大阪合同紡績(株)を合併 | [当社事項] | |
9月18日 | 満洲事変起こる | 業界・一般事項 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | (株)昭和工作所は、(株)大阪機械製作所との合併により解散 | [当社事項] | |
12月 | 四貫島工場、タイヤコードの製織をはじめる | [当社事項] |