※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 精神教育のため報徳会を結成 | 経営、管理 | |
9月26日 | 硫酸回収工場の操業開始(滋賀) | 生産、技術、研究・開発 | |
9月 | 機関誌『麗園』を創刊 | 経営、管理 | |
- | (この年)・レーヨン糸輸出額、輸入額を上回る | 業界、経済、社会 | |
- | (この年)・昭和恐慌はじまる('32年ころまで) | 業界、経済、社会 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月23日 | スターレー技師長、アーダン製糸課長を依願解雇(これをもって外国人技術者は全員帰国) | 生産、技術、研究・開発 | |
11月 | 綿紡、絹紡、レーヨン工業を統制法適用産業に指定。レーヨン織物、同製品、レーヨン糸を重要輸出品に指定 | 業界、経済、社会 | |
12月13日 | 金輸出再禁止を決定(金本位制停止、管埋通貨制への移行) | 業界、経済、社会 | |
12月 | 横浜・大阪・神戸絹人絹輸出組合設立 | 業界、経済、社会 | |
- | (この年)・各国の日本レーヨン製品に対する輸入制限措置がはじまる | 業界、経済、社会 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月23日 | 私立東洋工業学校を設置 | 経営、管理 | |
5月14日 | 福井人絹取引所、世界初のレーヨン専門取引所として開設 | 業界、経済、社会 | |
7月4日 | 滋賀柔道部、全国青年演武大会優勝('36年も) | 経営、管理 | |
7月11日 | 第13回定時株主総会を開催、'32上期に初配当(年6分)を決議 | 経営、管理 | |
- | (この年)・レーヨン工業への第2次新参入(~'37年)。人絹連合会6社独占体制の再編開始 | 業界、経済、社会 | |
- | (この年)・レーヨン輸出額が絹織物輸出額を上回る | 業界、経済、社会 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
7月10日 | 第15回定時株主総会を開催、株式の公開を決議 | 経営、管理 | |
9月13日 | 第2工場でレーヨン糸〈13.4トン/日〉の生産開始(滋賀) | 生産、技術、研究・開発 | |
- | (この年)・東京米商取引所、大阪三品取引所にレーヨン糸上場 | 業界、経済、社会 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | つや消しマルチレーヨン糸の生産開始(滋賀) | 生産、技術、研究・開発 |