※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 名古屋綿糸取引所会員となる | 会社事項 | |
- | 武藤山治主唱の実業同志会創設に協力 | 会社事項 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 武藤山治衆議院議員に当選、社長選挙違反の罪に問われ実業同志会、浪速紡織その他公職から引退 | 会社事項 | |
- | 芦屋に邸宅新築、南河堀町本邸売却 | 会社事項 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 店舗を旧倉庫内に移転 | 会社事項 | |
- | 船場ビルディング解散 | 会社事項 | |
- | 2次恐慌、社長欠損補填のため私財60万円提供 | 会社事項 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 大正天皇崩御、摂政宮裕仁親王践祚、昭和と改元 | 社会の動き | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 3週間のモラトリアム勅令公布 | 社会の動き | |
5月 | 資本金300万円を30万円に減じ新たに70万円増資し資本金100万円とする | 会社事項 | |
6月 | 社長紺綬褒章飾版下賜さる | 会社事項 | |
- | 人絹糸取引始める | 会社事項 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 第1回普通選挙 | 社会の動き | |
10月 | ニューヨーク株式暴落で生糸惨落、世界恐慌はじまる | 社会の動き | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 桐生、足利に出張所を開設 | 会社事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 金輸出解禁 | 社会の動き | |
2月 | 八木幸吉兵庫県第3区より衆議院議員に当選 | 会社事項 | |
4月 | 八木泰吉、山田陸槌3女隆子と結婚 | 会社事項 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 満州事変勃発 | 社会の動き | |
12月 | 金輸出再禁止 | 社会の動き |