※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年 王子製紙神崎工場 アート紙生産において戦前の最高記録となる | 当社関連事項 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 国家総動員法公布 | 一般事項 | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月27日 | 日独 伊三国同盟締結 | 一般事項 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月8日 | 太平洋戦争勃発 | 一般事項 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 加藤藤太郎 王子製紙の常務に就任 | 当社関連事項 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | カゼインなど塗料原料の輸入途絶などによって 王子製紙神崎工場 アート紙の生産を中止のやむなきにいたる | 当社関連事項 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 王子製紙神崎工場の一部を軍需会社に貸与 紙生産高は昭和8年と比べて10分の1程度に減少する | 当社関連事項 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月15日 | 王子製紙神崎工場 爆撃を受けて壊滅 ついに操業を停止する | 当社関連事項 | |
8月15日 | 天皇「終戦の大詔」を放送 | 一般事項 | |
10月11日 | GHQ 独占企業の排除と経済民主化を指令 | 一般事項 | |
11月2日 | GHQ 財閥資産の凍結解体を指令 | 一般事項 | |
11月6日 | GHQ 持株会社解体覚書を交付 | 一般事項 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 王子製紙制限会社に指定される | 当社関連事項 | |
2月1日 | 第一次農地改革実施 | 一般事項 | |
2月 | 加藤藤太郎 王子製紙副社長に就任 | 当社関連事項 | |
3月3日 | 旧円停止 新円切換え | 一般事項 | |
8月12日 | 経済安定本部設置 | 一般事項 | |
10月1日 | 復興金融公庫法公布 | 一般事項 | |
11月3日 | 新憲法公布 | 一般事項 | |
12月 | 加藤藤太郎 王子製紙社長足立正 副社長小林準一郎とともに王子製紙を退社 王子製紙 持株会社に指定される | 当社関連事項 |