※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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弘化2年(1845) | - | 【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年三代三郎兵衛(三平)、京都六角柳馬場西入堀上町に和紙商越三商店を開く、資本金壱百両、25歳 | 当社事項 | |
嘉永4年(1851) | 1月 | 中浜万次郎、アメリカから帰る | 一般社会事項 |
12月4日 | 常吉(四代三郎兵衛)、河内国北河内郡津田村字野村の小原家に生まれる | 当社事項 | |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | アメリカ使節ペリー、浦賀に来航 | 一般社会事項 | |
- | この年常吉、小原家より中井家に入る、3歳 | 当社事項 | |
- | 三代三郎兵衛(三平)、京都三条通東洞院西入梅忠町に店を移転 | 当社事項 | |
文久2年(1862) | - | この年鵜飼勝輔(幼名城太郎)京都本店に奉公、9歳 | 当社事項 |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月24日 | 徳川慶喜、大政奉還 | 一般社会事項 | |
- | この年常吉17歳にて三井呉服店を辞す | 当社事項 | |
- | この年『西洋雑誌』創刊 | 一般社会事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 丸屋善七商店(丸善の前身)開業 | 一般社会事項 | |
12月5日 | 常吉、つると結婚する | 当社事項 | |
- | この年万屋(現・マンツネ)創業(和紙仲買業) | 業界事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月14日 | 常吉、20歳で家督相続し、三郎兵衛(四代目)を襲名。三代目は三平と号し、三井組に勤務する | 当社事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 洋式楮製商社設立(百武安兵衛、開業にいたらず) | 業界事項 | |
- | この年三郎兵衛町年寄にあげられる | 当社事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月21日 | 『東京日日新聞』(毎日)創刊 | 一般社会事項 | |
2月 | 日本で初めての製紙工場、東京日本橋蠣殻町に有恒社設立 | 業界事項 | |
2月 | 福沢諭吉『学問のすゝめ』を出版 | 一般社会事項 | |
8月15日 | 三郎兵衛断髪、22歳 | 当社事項 |