日本紙パルプ商事(株)『百五十年史』(1996.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
弘化2年(1845) - 【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕 渋沢関係略年譜
- この年三代三郎兵衛(三平)、京都六角柳馬場西入堀上町に和紙商越三商店を開く、資本金壱百両、25歳 当社事項
嘉永4年(1851) 1月 中浜万次郎、アメリカから帰る 一般社会事項
12月4日 常吉(四代三郎兵衛)、河内国北河内郡津田村字野村の小原家に生まれる 当社事項
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
6月3日 アメリカ使節ペリー、浦賀に来航 一般社会事項
- この年常吉、小原家より中井家に入る、3歳 当社事項
- 三代三郎兵衛(三平)、京都三条通東洞院西入梅忠町に店を移転 当社事項
文久2年(1862) - この年鵜飼勝輔(幼名城太郎)京都本店に奉公、9歳 当社事項
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
12月24日 徳川慶喜、大政奉還 一般社会事項
- この年常吉17歳にて三井呉服店を辞す 当社事項
- この年『西洋雑誌』創刊 一般社会事項
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 丸屋善七商店(丸善の前身)開業 一般社会事項
12月5日 常吉、つると結婚する 当社事項
- この年万屋(現・マンツネ)創業(和紙仲買業) 業界事項
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
8月14日 常吉、20歳で家督相続し、三郎兵衛(四代目)を襲名。三代目は三平と号し、三井組に勤務する 当社事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
8月 洋式楮製商社設立(百武安兵衛、開業にいたらず) 業界事項
- この年三郎兵衛町年寄にあげられる 当社事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
2月21日 『東京日日新聞』(毎日)創刊 一般社会事項
2月 日本で初めての製紙工場、東京日本橋蠣殻町に有恒社設立 業界事項
2月 福沢諭吉『学問のすゝめ』を出版 一般社会事項
8月15日 三郎兵衛断髪、22歳 当社事項
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